“ラストラン”大迫傑が6位入賞も…なぜ日本男子マラソン勢はメダルに手が届かなかったのか?
男子マラソンは106人が出走して30人が途中棄権。本番コースを東京から札幌に移転したが、レース当日は、過酷な気象条件になった。スタート時の天候は曇り、気温は26度、湿度は80%。スタート時刻を直前に1時間繰り上げた前日の女子マラソンより日差しは強くなかったが、途中棄権は女子よりも多かった。なお東京の同時刻の天候は雨、気温は24.8度、湿度は100%だった。 2013年9月7日、東京が国際オリンピック委員会(IOC)から2020年夏季五輪の開催地に選ばれた。その日から日本マラソン界は地元五輪での快挙を実現すべく、強化策を考えた。選手たちも7年後に夢をかなえるために動き出した。 日本は地の利を最大限に生かすべく、本番コースを使用したMGCを決戦当日に近い気象条件、本番と同じくペースメーカーのいないガチンコ勝負で実施。2019年9月15日には男女2人ずつの五輪代表内定選手が決まった。 しかし、「暑さ」を理由に本番コースは東京から札幌に変更。コロナ禍で開催も1年延期された。この影響はMGCで代表を勝ち取った選手たちの悲劇につながった。 注目度の高いマラソン日本代表という“看板”を約2年間も背負ったことが重荷になったのだ。男子の中村と服部は62位と73位に沈み、女子の前田穂南(25、天満屋)と鈴木亜由子(29、日本郵政グループ)は33位と19位。メダル争いどころか、入賞争いに絡むこともできなかった。 とにかくコンディションやモチベーションを保つのが難しかった。中村と服部は脚の状態を考慮して、予定していたマラソンを欠場。ともに東京五輪がMGC以来のマラソンになった。日々の小さなストレスやプレッシャーが選手たちを狂わせた。 MGCでつかんだコース攻略の経験と自信も、新たなコースになったことで無効化された。当初の予定である2020年8月9日に東京で男子マラソンが行われていれば、中村と服部はもっと実力を発揮できた可能性が高い。 中村は28歳、服部は27歳。ふたりは3年後のパリ五輪に意欲を見せている。 「結果がすべての世界なので、もう一度(五輪に)戻ってきて、新たな姿が見せられるように頑張りたいと思います」(中村) 「この悔しい経験を忘れずに次のパリ五輪でしっかり勝負できるように精進していきたい。強さのある選手になって五輪の舞台に帰ってこれるように頑張りたいです」(服部) そして大迫の“現役ラストラン”が日本マラソン界を次のステージに引き上げてくれることだろう。 「まっすぐ進んできた部分があったと思うので、これからも競技以外でもしっかりとまっすぐに進んでいきたい。次の世代の人が頑張れば、この6番というところから絶対にメダル争いに絡めると思うので次は後輩たちの番だと思います」(大迫) 日本マラソン界にとって東京五輪は不運がつきまとった。それでも大迫はメダル獲得に迫った。彼の魂を引き継ぎ、世界と勝負できるランナーが登場することを期待したい。 (文責・酒井政人/スポーツライター)