非エリート街道から世界トップ100へ。18年のプロテニス選手生活に終止符、伊藤竜馬が刻んだ開拓者魂
“争いごとが大嫌い”な末っ子の原点
伊藤竜馬が生まれ育った地は、三重県のいなべ市。もっとも今は“市”ではあるが、伊藤が子どもの頃は“員弁郡北勢町”。この人口1万5000人に満たない穏やかな地方都市で、教員の父親と、裁縫教室を開く母の間に第3子として誕生した。上は姉が2人。“竜馬”の名は、父が敬愛する坂本龍馬にあやかり命名された。ただ読み方が「タツマ」なのは、伊藤曰く、「父の友人にも坂本龍馬好きがいて、『先に息子が生まれた方が龍馬と命名できる』と決めていた。自分の方が後に生まれたため、竜馬(タツマ)になった」とのこと。 「歳が離れた姉がいるのも坂本龍馬との共通点だし、辰年生まれだし」と伊藤は言うが、「でも父も、自分の息子に“龍馬”とつけるのは恐れ多いと思ったのかも!」と、顔をクシャっとゆがめて笑う。この、豪快さと謙虚さをブレンドした笑顔にも、伊藤の人となりが映し出されるようだ。 子どもの頃は、体格に恵まれていたこともあり柔道を習った。寝る時も道着を着るほどに好きだったが、あまり勝てなかったという。 「投げられないんですよ、あの子。組み手をしていても、自分の方が力はあるのに、小さい子を投げられない」 御両親から伺ったこの思い出話も、伊藤の性格を端的に物語るエピソード。争いごとは大嫌いで、2人の姉が言い争いなどをしていると、「けんかしちゃダメ!」と泣きながら止めに入ったという。 その姉たちがテニスに打ち込んでいたため、幼い頃からテニスは身近な存在ではあった。伊藤家は祖父母も共に暮らす、大家族。テレビは居間に1つで、チャンネル決定権は年功序列が暗黙のルールである。ウインブルドンなどの時期になるとテレビに映るのは、父と姉たちが好きなテニスになるのは必然だった。シュテフィ・グラフが大好きな姉と並んでテレビ観戦をする末っ子は、強烈なバックハンドでテニス界に革新をもたらした、アンドレ・アガシに魅了されたという。 テニスを始めるようになったのも、やはり姉を介して。姉が通うテニススクールの体験会に参加し、ボールを打つ快感のとりこになった。 「コートの後ろのフェンスに届くくらい、思いっきり打っていた。全力で打って、どれだけボールを遠くに飛ばせる競技かと勘違いしていたんだと思います」 そう笑って振り返る9歳の日の興奮こそが、伊藤竜馬のテニスの原点だ。