なぜ村岡桃佳はコンタクト落下で「一瞬何も見えなくなる」危機を乗り越え北京パラ2つ目の金メダルを獲得できたのか?
スーパー大回転では事前のトレーニングラン(公式練習)が設けられず、インスペクションと呼ばれるコースの下見がレース当日朝に一度だけ許されている。 幸いにもコースの目安として引かれている青いラインは、おぼろげながら視界に入ってきた。それを命綱にしながら旗門の位置を把握し、下見の際にコーチとともに設定した自分なりのコースを思い出してスピードに乗り、ストロングポイントと自負する安定したチェアスキー操作と正確なターン技術を繰り出していった。 2番目のチェックポイントではフォルスターのタイムに追いつくも、3番目のそれでは再び0秒19遅れた。しかも、さらなるハプニングが起こった。 「ちょうどそこぐらいで、片方のコンタクトレンズが落ちました。ゴーグルのなかに『あっ、ここにコンタクトがある』と思いながら滑っていました」 相次いだハプニングを村岡は笑顔を交えながら説明し、最後は「以後、気をつけたいと思います」と反省の弁で締めくくった。強靱なメンタルを物語るように、フィニッシュタイムはフォルスターのそれをわずか0秒11ながら上回っていた。 波乱万丈に富んだ1分23秒73の滑降を、村岡はこう総括している。 「途中から持ち直すことができたのかな、と思っています」 終わってみれば高低差約540m、全長約2kmの急傾斜の難コースを、村岡は出場した8選手のなかで最速となる平均時速91.64kmで滑り抜けた。 自他ともに認めるシャイな性格が、エースを拝命して久しい競技スキーにおいても、決して好ましくない形で反映されるケースが少なくなかったと村岡は打ち明ける。 「いままでのレースでは抑えてしまう部分がけっこう大きかったというか、滑りのなかですごく迷いが大きくて、それがレースにも出てしまうところがあったんですけど」 しかし、3度目のパラリンピックとなった今大会は違う。 陸上女子100m(車いすT54)で6位入賞を果たした東京パラリンピックまで、雪上練習を約2年半も封印した。新型コロナウイルス禍で東京パラリンピックが1年延期になっても、不退転の覚悟で貫徹させたパラアルペンスキーとの異例の“二刀流”は、今大会への準備期間をわずか半年間しか取れない状況を生んだ。 もちろん、村岡は一片の悔いも抱いていない。むしろ陸上トレーニングで培った筋力や体幹の強さはパラアルペンスキーにも生きる、といい意味で開き直った。フラッシュインタビューのなかで、前日の滑降に続く二冠を村岡はこう振り返っている。 「いまは自分の滑りに自信を持ってスタートできているし、滑れてもいる。自分の成長した部分が今回の結果にもつながっていると思うので、すごく嬉しいですね」