透析患者はなぜ「緩和ケア」を受けられないのか?…透析患者の緩和ケアをめぐる医療者たちの「大変な苦労」
「私たちは必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかった」 なぜ、透析患者は「安らかな死」を迎えることができないのか? どうして、がん患者以外は「緩和ケア」を受けることさえできないのか? 【写真】透析を「拒否がなければ行う」から「希望がなければ行わない」へ 10年以上におよぶ血液透析、腎移植、再透析の末、透析を止める決断をした夫(林新氏)。その壮絶な最期を看取った著者が記す、息をのむ医療ノンフィクション、『透析を止めた日』(堀川惠子著)が刊行された。 『透析を止めた日』は、これから透析をする可能性のある人、すでに透析を受けている人、腎臓移植をした人、透析を終える時期が見えてきた人だけでなく、日本の医療全般にかかわる必読の書だ。 本記事では、〈日本では、「がん以外の患者の死」は今後ますますおざなりになるという「信じがたい未来」〉につづき、死の臨床研究会について見ていく。 ※本記事は堀川惠子『透析を止めた日』より抜粋・編集したものです。
死の臨床研究会
2023年11月も下旬に差し掛かり、すっかり高くなった青空を借景に、中国山地の山々は鮮やかな紅葉に染まっていた。 広島の新尾道駅から乗り込んだ四国・松山行きの高速バスは、週末というのに乗客もまばらで、この路線もいつまで続くだろうと心配になる。20分ほど走ると、瀬戸内しまなみ海道をつなぐ2つ目の橋、因島大橋に差し掛かった。 眼前に広がる懐かしい光景に、思わず声が出そうになる。かつて私が広島のテレビ局で初めて作った全国放送のドキュメンタリーは、この因島にひとりで暮らす80代の宮地さんという女性が主人公だった。 番組のタイトルは「島で死にたい」。まだ介護保険もない90年代、島で唯一の老人ホームが乱脈経営で閉鎖され、行政も機能せず、島から福祉が消えた。身寄りのない認知症の高齢者が餓死するケースまで起き、私は連日のように広島から片道2時間をかけて取材に通った。膝に持病を抱えた宮地さんも歩行が難しくなり、自宅を離れて、泣く泣く大阪の娘の元に身を寄せることになった。 彼女がこの橋をわたって島を去る日の光景を、私はヘリコプターで追いかけた。有名人でもないのに、と上司はしぶったが、私は空撮を強行した。過疎の島々に何千億円という莫大な予算を投じて巨大な橋を架ける一方で、この島には、たったひとりのお年寄りの暮らしを支える医療も福祉もない。それを象徴するカットを撮りたかった。生まれた場所で生をまっとうできぬ不条理に、若き日の私は心底、憤っていた。 あれから30年、日本では介護保険制度が導入され、在宅医療の体制は整えられてきた。宮地さんが今の時代に歳を重ねていたら、訪問看護やヘルパーの助けを借りて、自宅で最期を迎えることができていたかもしれない。腎不全患者の緩和ケアの不在も、いつか昔話と振り返ることのできる日がくるのだろうか。 バスが7つの橋をわたり終えるころ、車窓に愛媛県の地名が見えてきた。 松山市を訪れたのは、第44回日本死の臨床研究会に参加するためだ。設立からほぼ半世紀を迎える老舗の研究会で、医療や宗教、社会心理などあらゆる業種の人たちが、がん告知も許されぬ70年代から死の現場の問題に真正面から向き合ってきた。 2日目の事例検討会で、透析患者の問題が取り上げられた。「透析継続についての意思決定支援に関してチーム内での合意形成に課題を残した胃がんの1事例」。演者は広島市の安芸市民病院で緩和ケア病棟の部長を務める松浦将浩医師である。 がん患者でもあったことから、緩和ケアにつながった透析患者のケースだ。この検討会に、緩和ケア領域の専門家がどのくらい集まるかが私の関心事のひとつだった。テーマによっては演者が気の毒なくらい聴衆がまばらな検討会もある。 当日、開始15分前に約100席がすべて埋まった。スタッフが慌てて補助席を用意し始めたが、開始予定時刻には立ち見の人が壁際にズラリと並び、会場の外の廊下にまで人が溢れた。座長を務める男性医師の声もどこか高ぶって聞こえる。 「すみません、いや、このテーマには5人くらいしか来ないかと思ってたんですが、ちょっと驚きました、皆さん、もっともっと前に詰めてください」 やはり緩和ケアの現場では、透析患者をめぐって苦労しているのだと確信した。 まず当日の発表内容を簡潔にまとめたい(事例発表は家族の承諾を得ており、本書への掲載も安芸市民病院の倫理委員会で承認を得た)。 ■概要 胃がんの進行に伴い全身症状が悪化、通院透析が困難となり入院。透析チームと緩和ケアチームとの間で微妙な温度差があり調整が必要となった事例。 ■患者 Aさん(70代)妻と2人暮らし、元建設会社幹部、家庭では亭主関白、常に前向きに生きてきた男性。経済的余裕もある。8年前に肝臓がんの治療の副作用で腎不全、透析を導入。3年前に進行胃がんやリンパ節転移。末期腎不全で放射線治療に限界がくる。予後は数ヵ月から半年の診断。緩和ケア病棟で過ごす選択肢もあったが、本人の希望で自宅退院。下肢壊疽に対する麻薬性鎮痛剤(貼付式)を使用しながら訪問看護支援で過ごすも、退院から3週間後、通院透析や歩行が困難になり緊急入院。 入院時、男性は朦朧として会話ができず、家族は「安らかに逝かせてほしい」との意向だった。本人から透析中止の意向はこれまで聞かれなかったため、身体的に可能で拒否がなければ透析続行することを決めた(入院は一般病棟で対応)。 入院2日目、意識レベルがわずかに改善、血圧は低値ながら安定、少量ずつゼリー摂取もできるようになる。その後、2回の透析を行うが、入院6日目、患者は「とにかく何もするな」と透析のみならず検温や食事も拒否した。 入院7日目、松浦医師はAさんと向き合った。少しずつこぼれ落ちてくる言葉を拾うようにして、次のような意向を確認した。 ──入院してからすべて病院のペースでことが運ばれていくことに耐えられない。自分は透析が嫌とかではなく、これまでも主治医に勧められればどんなにつらくても治療を頑張ってきた。しかしここに至って最後まで自分がそれに堪えられるか不安だ。 透析の苦痛が、限界に近づいていた。 松浦医師は、痛みやしんどさは投薬で必ず軽減していくと伝えた。そして透析チームと話し合い、透析は今後、「拒否がなければ行う」から「希望がなければ行わない」ことにした。ところが透析を3回中止した時点で、透析チームから「もう一度、透析の功罪を説明して意向を確認したい」との申し出があった。同日から痛みが急増、透析は中止したまま入院15日目に永眠した。 林のケースに比べれば、透析チームと緩和ケアチームが話し合いを持ちながら、丁寧な疼痛管理の下で看取られた理想的な状態に思えた。それでも多くの看取りを経験してきた松浦医師からすれば疑問を抱いた。患者本人の思いを必死にくみ取って透析休止の方針を決定しながら、最後の段階で透析チームの意向が覆ったからだ。そこで合意形成にどんな工夫の余地があったかという問題提起をされた。 質疑応答に入ると挙手が相次ぎ、引きも切らぬ状態になった。松浦医師の問題提起はどこへやら、医師、看護師、臨床心理士らが、質問というより自分の思いを吐露する場になった。沢山の手が挙がり続け、最後は時間切れで打ち切られた。 代表的な発言を箇条書きでまとめてみる(順番は変えた)。 ◆末期腎不全に保険適用がないため、緩和ケア病棟では透析をまわすお金がない。 苦しんでいる透析患者を緩和ケア病棟に受け入れることが難しい現状を疑問に思う。 ◆当院の緩和ケア病棟では透析患者を何人も断ってきたが、最近は受け入れが増えているのだろうか。全国的な状況をもっと知りたい。 ◆うちは緩和ケア病棟で透析患者を受け入れている。保険の問題でコストがあわないといわれるが、工夫次第でできることもある。ただ透析を続けるかどうかについては、ナースの意思統一が難しいこともあった。 ◆当院では緩和医も回診で透析室に足を運んでいる。透析医ともやりとりしながら、痛みはないか、苦痛はないか、ひんぱんに確認しながら対応をしている。 ◆終末期のダウン症患者さんの透析をしているが色々と難しい面があって、ご家族も透析中止を望まれたので院内の倫理委員会にかけたが、弁護士から「面倒くさいことは止めてくれ」と言われて、仕方なく継続している。 ◆発表されたケースと同じように、緩和ケア医が看取りをすすめようと思っても、透析医が引き下がってくれないことがある(ここで会場から失笑が漏れた)。 ◆透析患者の希望は短い間で変わっていく、その時々の揺れを拾うことが大事だ。 ◆下肢壊疽の疼痛管理は難しい、どのような鎮痛剤を使ったか教えてほしい。 ◆透析患者の最期は、透析をどこまでまわすべきか、判断が本当に難しい。現場経験が30年を超えた今でも悩みは尽きない。 ◆ずっと別の医師の下で透析をしてきた患者が、最後になって初対面の緩和ケア医に委ねられることになる。緩和医には、もっと患者の情報が必要だ。 ◆透析を止める判断をするためには、緩和医は、その透析患者の人生にとってなにが生きる「希望」なのかを知らねばならないのではないか。 ◆透析中止の判断には、患者がどういう理由で透析を始めたかが大事ではないか。 患者に身寄りがない場合、患者が維持透析をしていたクリニックに、私たちのほうから直に電話をかけて、自院に来る前の患者の「思い」を探るようにしている。 多岐にわたる発言に、医療者たちの試行錯誤がうかがえた。患者中心の議論がなされていたことに少なからぬ感銘を受けた。緩和のプロでも、ここまで悩むのだ。和美さんが言っていたように、緩和ケアとは専門外の医師が「合間」にできるような仕事ではないという印象を改めて強くした * さらに【つづき】〈透析を「拒否がなければ行う」から「希望がなければ行わない」へ…死にゆく患者にできること〉では、「最後まで自分らしい生き方を貫ける」ような緩和ケアについて、見ていく。
堀川 惠子(ノンフィクション作家)