松坂大輔は涙の引退会見で何を語ったか…「自分を褒めてあげたい”あきらめの悪さ”の原点は甲子園でのPL学園戦」
――23年間の日米プロ生活を振り返って? 「長くプレーさせてもらった。半分以上は、故障との戦いだったが、最初の10年があったから、ここまでやらせてもらった。一番いい思いと、自分で言うのもなんだが、どん底も同じくらい経験した僕みたいな選手はなかなかいないかも」 ――松坂大輔とはどんな投手だったのか? 「長くやったわりには思ったような成績を残せなかった」 ――辛口評価? 「通算勝利数も170個積み重ねてきたが、ほぼ最初の10年で勝ってきた数字。通算150(勝)が2010年くらい。自分の肩の状態はよくはなかったが、そこからさらに上乗せできると思っていた」 ――自分を褒めたい部分は? 「選手生活の後半は叩かれることの方が多かったが、あきらめの悪さを褒めてやりたい。辞めてもいいタイミングはあったし、なかなか思ったようなパフォーマンスを出せない時期が長くて、自分自身苦しかった。その分、たくさんの方に迷惑をかけてきたが、よくあきらめずにここまでやってきたなと思う。これまでは、叩かれたり批判されたりすることに対して、それを力に変えて跳ね返してやろうとやってきたが、最後は、それに耐えられなかった。心が折れたというか、エネルギーに変えられたものが、受け止めて跳ね返す力がもうなかった」 ―あきらめの悪さの原動力は? 「すべてがそうではないが、あきらめなければ最後は報われる。それを強く感じさせてくれたのは、甲子園のPL学園との試合(1998年の夏の甲子園の準々決勝の伝説の延長17回の激闘)。今質問されてパッとその試合が出てきた。あの試合があきらめの悪さの原点」 ――野球への思いがゆらぐときはあった? 「僕だけじゃなく、怪我した選手、結果が出ない選手にとって、その時間は凄く苦しい。周りの方が思っている以上に。僕の場合は、野球を始めたときから変わりのない、野球の楽しさ、野球が好きだということを、その都度、思い出してなんとか気持ちが消えないように戦っていた時期がある。どんなに落ち込んでも最後には野球が好きだ、まだまだ続けたいと。後半は、ぎりぎりのところでやっていたなと思う。いつ気持ちが切れてもおかしくなかった」 ――その気持ちは今でも変わらない? 「好きなままで終われて良かった」 ――思い出に残る名勝負、試合は? 「その質問をされるだろうと色々と考えていた。ベストピッチやベストゲームが色々ありすぎて、この人、この試合、この1球と決めるのは難しい。見て感じるもの、記憶に残るものって人それぞれ違う。何かをきっかけに、松坂はこんなボールを投げていたな、あんな打者と対戦していたな、あんなゲームがあったと思い出してくれたらいい」