「告発文書を世に知らしめたのは元局長ではなく斎藤知事その人です」なぜ知事らの行いが法律違反といえるのか、兵庫県議会・百条委での解説全文(後編)
「一人の知事の暴走」ではなく、人事権を持つ全ての人が教訓に
斎藤知事は、公益通報に関する基本的な知識の欠如と思いこみで前時代的な対応をとってしまいましたが、これは斎藤知事に限らず、すべての組織の上に立つ人にとって他山の石にすべきことだと思われます。 一人の知事のおかしな暴走としてあっという間に忘れ去るのではなく、これと同じようなことを私もあなたもやってしまうかもしれない、もしかしたら、人間の性(さが)として多かれ少なかれ、すべての人が内心に抱えているバイアスかもしれない、だから、私たちの社会に抜きがたく残らざるを得ない、そんなリスクとしてとらえ、そのリスクの顕在化を減らすための、貴重な教訓としてこのスキャンダルを生かしたい、と思います。 権力を負託されて預かっているすべての人――知事ならば兵庫県民の選挙での負託に基づいて県行政を推し進めるために県職員に対する人事権・懲戒権などその様々な権限を行使することができるのでしょうが、彼だけでなく、たとえば、株式会社ならば株主から負託を受けている代表取締役、あるいは、日本国民から負託を受けている国家統治機構の枢要な地位にいる人を含め――、それら人事権をふるうことのできる権限を信認を受けて負託されたすべての人たちが、これを教訓とし、これを反面教師とし、以後、自身の言動を戒め、耳には痛くても、正当な内部告発の声には耳を傾け、正当な内部告発をした人を攻撃しない、そんなふうに行動するための、きっかけにすることができるのでしたら、この百条委員会の価値は、たいへん大きなものであると思われます。 耳に痛い話であっても、聞きたくない話であっても、自分と異なる意見であっても、それらを攻撃したり排除したり「論破」したりするのではなく、ある程度は寛容に受け止めて、しっかりと吟味し、いくらかは参考にする、わが身を顧みて反省するべきところがあれば反省する、そんな私たちであるための、貴重な糧(かて)に、本委員会がなるであろうことを、願ってやみません。
奥山俊宏