中絶は「女性の罪」か――明治生まれの「堕胎罪」が経口中絶薬の遅れに及ぼした影響 #性のギモン
4月に承認された経口中絶薬。日本では中絶手術が続けられ、「飲む中絶薬」は世界で初めて導入されてから35年も遅れた。遅れの背景に、中絶を「女性の罪」とする明治生まれの法律「堕胎罪」の影響があると識者は語る。懲罰の対象は女性のみで、妊娠相手の男性は問われない。そもそも中絶は合法的に受けられるのに、なぜ堕胎罪が残っているのか。この法律は現代に合っているのか。専門家や研究者、政治家に話を聞くなかで、新たな証言を得た。(文・写真:ジャーナリスト・古川雅子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
独自に行った28人への取材をもとに、3回シリーズで「35年の真相」を追う。最終回の本記事では、「堕胎罪」の見直しについて取材した。
明治2年生まれの法律「中絶は犯罪」
2020年6月、愛知県の元看護学生の女性(当時20)が逮捕された。妊娠相手の元同級生の男性との相談で、女性は、「経済的理由」により中絶すると決めた。ところがその後、男性は連絡を絶った。女性は病院で求められた「配偶者の同意」が得られず、「妊娠22週未満」と決められている中絶可能な期間を逃してしまい、公園のトイレで出産。だが、新生児を放置して死なせたとして、死体遺棄、および保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された。後に、懲役3年執行猶予5年の有罪判決となった。 本来、日本において中絶は合法的に受けられるはずだが、中絶へ手が届かずに事件へと発展してしまうことがある。 優生保護法問題に取り組み、任意団体「SOSHIREN女(わたし)のからだから」のメンバーでもある大橋由香子氏は、こうした事件の背景には古い法律の存在があるという。 「堕胎罪です。孤立出産のことが報道されると、必ず女性を責める声が上がります。それは根本のところで、日本はいまだ『堕胎罪がある国』だからです」
堕胎禁止令が出されたのは1869(明治2)年。その後1880年に旧刑法が作られ、堕胎罪が盛り込まれた。大日本帝国憲法が成立する前のことで、フランスの刑法を模したものだった。明治後期の1907年に現在の刑法になり、「堕胎罪」として罰せられる規定ができた。 堕胎罪とは、つまり「中絶は犯罪」とする法律だ。現行の刑法の条文にはこうある。 〈(堕胎)第二百十二条 妊娠中の女子が薬物を用い、又はその他の方法により、堕胎したときは、一年以下の懲役に処する〉