中絶は「女性の罪」か――明治生まれの「堕胎罪」が経口中絶薬の遅れに及ぼした影響 #性のギモン
「結婚していない場合」(2013年厚生労働省通知)と「強制性交罪が成立する場合」(2020年同)、および「妊婦が夫のDV被害を受けているなど、婚姻関係が実質破綻し、同意を得るのが困難な場合」(2021年同)は、「配偶者の同意」が必須ではないと厚労省が見解を示している。このケースであっても、今も相手の同意を求める医療機関はある。それは医師側の事情にあると大橋氏は言う。 「同意を得ずに中絶をしたことで、相手の男性から産婦人科が恐喝されたり訴えられたりした事例がわずかながらある。医師からすれば、トラブルを避けたいという心理が働くのでしょう」 世界的な人権団体「Center for Reproductive Rights」によると、世界203の国・地域のうち、中絶に「配偶者の同意」を法的に規定しているのは、日本を含めて11のみだ。日本は国連の女性差別撤廃委員会から2016年に「配偶者同意規定の廃止」の勧告を受けた。 だが、見直しの議論は進んでいない。
戦後まもなく定められた「指定医師」が特権に
政治学者で、女性学にも精通する岩本美砂子・元三重大学教授によれば、優生保護法は、審議らしい審議も経ずに堕胎罪の例外規定が定められ、中絶が「合法化」されたという。 合法のもと、医師から手術を受けられるようになったことは、当時、望まぬ妊娠に困った女性にはプラスになった面もあったと岩本氏。合法化前は闇中絶で命を落とすケースも相次いでいたからだ。その頃は、リスクの高い中絶手術を獣医や衛生兵までが請け負っていたという。 性急に仕組みが整えられた代償もあった。 優生保護法の原案は1947年、日本社会党だった衆議院議員、加藤シヅエらによって書かれたが、後に日本医師会会長も務めた参議院議員の谷口弥三郎が、加藤案を改変して提出し直し、成立させたのだという。 谷口は法案通過の翌年、1949年に「日本母性保護医協会(現・日本産婦人科医会)」を創設。優生保護法の第14条に「経済的理由による」中絶を許可する条文を加える改正案を成立させた。さらに1952年にも中絶を受けたい女性が中絶しやすくなるよう改正をほどこした。 この時の経緯が今も尾を引いていると岩本氏は指摘する。 「谷口弥三郎は産科医でもあり、刑法堕胎罪の条文は残した上で、優生保護法で定める『指定医師』にだけ中絶手術を許可するという仕組みを採り入れた。その後、中絶の実行権を与えられた産科医は、生計の糧でもあった中絶へのアクセス向上政策を急速に推し進めていったんです」