中絶は「女性の罪」か――明治生まれの「堕胎罪」が経口中絶薬の遅れに及ぼした影響 #性のギモン
優生保護法第12条、人工妊娠中絶を行うことができるのは「指定医師」だけと規定した条文は、1996年に改正された母体保護法でも引き継がれた。今でも各都道府県の医師会が産婦人科医の中から「指定医師」を決める。「指定医師」以外が中絶を実施した場合、それが医師免許を持った人であっても「堕胎罪」で罰せられる。 「当時から行われていた掻爬(そうは)法という中絶手術は、下手をすると子宮に穴を開けたりするから、“特殊職人芸”だった。結果的に、日本では中絶を合法化する時、手術を行う『指定医師』という存在自体が権力になってしまったわけです」(岩本氏) すべての女性がSRHR(性と生殖に関する健康と権利)を享受できる世界を目指す国際協力NGO「ジョイセフ(JOICFP)」理事の芦野由利子氏は、1948年にいち早く中絶を合法化した日本は、いまや避妊薬・中絶薬の後進国だと言う。1967年にイギリス、1975年にフランスなど欧州では1970年代前後に中絶が合法化されたが、「それは女性たちが闘い取ったもの。日本の合法化は国の人口政策の一環で、女性にとっては、『ある朝目が覚めたら、中絶が合法化されていた』のが実情。欧米との違いの持つ意味は大きい」と話す。
低用量ピルは、欧米より約40年遅い1999年の認可だが、女性の声は大きくは上がらなかった。 「避妊は主にコンドーム。中絶は合法という事情に加え、マスコミが『ピルの副作用は怖い』と喧伝した影響は無視できない」(芦野氏) 今春承認された経口中絶薬「メフィーゴパック」を扱う医療施設は7月23日の時点で34カ所。指定医師のいる施設は全国に4176はある(2019年)が、その1%にも満たない。 中絶薬の正確な情報を含め、性は人権という視点の性教育が喫緊の課題だと芦野氏は言う。
「堕胎罪は見直すべき」と語る厚生労働委員長
生殖のコントロールにまつわる女性運動が、世界では「避妊(1960年代)→中絶(1970年代)」へと向かったのに対し、日本では「中絶(1948年の脱犯罪化)→避妊(1999年の低用量ピルの認可)」と正反対の道をたどった。