中絶は「女性の罪」か――明治生まれの「堕胎罪」が経口中絶薬の遅れに及ぼした影響 #性のギモン
発想の前提にあるのは明治の家父長制と欧米列強のキリスト教的価値観で、胎児は家父長のものという考え方だ。懲罰の対象は女性のみで、妊娠相手の男性は何も問われない。116年も改正されていないことに大橋氏は驚くという。 「今でも同じ条文のまま存在していて、妊娠して産まないことは犯罪なんです。だから、現在に至っても、女性に負担の少ない経口薬がなかなか承認に至らなかったし、承認されても使える病院が少なく、院内待機を条件とされ、さらに高額でもあり、問題だらけなわけです」 つまるところ、この堕胎罪があるために、中絶医療の運用に「女性の健康に必要な医療である」という視点が欠如し、ひいては経口中絶薬の承認までの壁やアクセスの悪さにも影響を与えたということだ。
「女性の罪」は残し、例外規定としての中絶合法化
中絶を罪とする内容そのものが現代の生活に全くそぐわないと大橋氏は言う。 「強制性交による妊娠もありますし、既婚者で3人目は育てられないとか、事情はいろいろです。なのに、予期しない妊娠をしたら産むしかないとなれば、自分で人生を選べないことになります」 そもそも堕胎罪があるのに、中絶ができるのはなぜなのか。それは、1948年の優生保護法によって「例外」として認められたからだ。 同法は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止」し、「母性の生命健康を保護すること」を目的としてつくられた。当時、国は人口増加に直面しており、人口を減らし「質」も管理するという人口政策が目的だった。だが、後年「優生上」という人権侵害が問題視され、1996年に母体保護法に改正された。その際、中絶できる要件が次のように改正された(概略)。 〈「身体的又は経済的理由」によって妊娠の継続や分娩が母体の健康を著しく害するおそれのある場合〉 〈「暴行もしくは脅迫」の結果としての妊娠の場合〉
「避妊法の普及には時間がかかる。だから人口を管理する方便として、禁止していた中絶を許可する条件を『例外』として決めたんです。ただし中絶が悪いという『女性の罪』は残す形で」(大橋氏) この時、堕胎罪は廃止されなかった。また、優生保護法にはもう一つ女性への縛りがついていた。「配偶者の同意」だ。愛知県の女性も、この縛りでつまずいた。これも母体保護法に引き継がれた。