「私の取材が差別を生むのか」偏見の先に見えたデカセギ外国人2世の生き方
暴走族という居場所
日系ブラジル人の取材であることを告げ、特に暴走族を探していると話すと、ワカスギ君は「ああ、自分も昔ヤンキーやってたんで、ボウソウとかもしてました」と、照れくさそうに打ち明けた。私は身を乗り出し「日系ブラジル人だけの、暴走族だったの?」と聞くと、「いや、日本人ばかりですけど……」と、不思議そうに答える。逆に彼から、「ブラジル人だけの暴走族ってのが、あるんですか」と聞かれて、私は答えに詰まってしまった。 彼がいわゆる「ヤンキー」に走ったきっかけは、些細なことだった。 「中学に上がって、サッカー部に入ったんですけど顧問と喧嘩して辞めちゃったんです。それで、放課後やる事が無くて近所の友達や先輩とつるんでるうちに、先にヤンキーやってた仲間に誘われて」 当時の彼にとっては、ヤンキーという「居場所」が暇をもてあました彼の唯一の選択肢だったのだろう。 私は、日系ブラジル人である事が、ヤンキーになったことに関係していないかと思い、「小学校や中学でいじめられたりとかしたことはある?」と、遠回しに質問を投げた。先読みした彼は、「日系ブラジル人だからって、いじめられたりとか・・・そういうのは、ほとんど経験が無くて。だから、ヤンキーになったのも、ブラジル人だからって理由じゃ無いんです。ぱっと見、ブラジル人って外見からわかんないし、そういう風には見られてなかったとおもう」と、すぐに否定した。 その時、脇に置いてあった彼の携帯の着信音がなった。「ちょっと、すいません」と断ってワカスギさんが電話に出る。電話の相手にポルトガル語で、なにかを手短に答えて通話を切り、稽古に励んでいる日本人に向かって大声で呼びかけた。「大城さん、イワモトくんは、9時ぐらいに来るみたいです」。 言葉はどっちが得意なのと聞くと、「普段の生活だと、日本語を使う時間の方が多いですね」という。日本生まれのワカスギさんは、ブラジルにいったことも2回しか無いという。9歳の時に、2ヶ月ほどブラジルの親戚の所に滞在したのが初めてだそうだ。 ポルトガル語を使う機会は、家族や日系ブラジル人とコミュニケーションを取る時ぐらいだという。「生まれた時は家族でも日本語で話していたけど、いまの家族とはポルトガル語で話します」 事情を聞くと、「生まれてすぐ、両親が離婚したあと小学生の時に再婚したんです」と言う。だから、家族構成が昔と違い、コミュニケーションの言語も変化した。