「私の取材が差別を生むのか」偏見の先に見えたデカセギ外国人2世の生き方
ぼくの祖国がわからない
ワカスギさんが、ブラジルの伝統的な格闘技、カポエラを習い始めたのは、15歳の頃だった。中学にも行かず、バイクを乗り回す息子を心配した父が「ケンジ、カポエラやってみたらどうだ」と、声をかけたのが始まりだった。「近所の友人も通っていたので、最初はのぞきに行くだけのつもりだった」とあまり気乗りはしていなかったようだが、それでも道場に足を向けた。 教室に通ってすぐ、一通り基本を教えてもらった頃にたまたま他流試合があった。先生に「試合に出てみないか」と声を掛けられ相手を見たら、年下の小柄な少年だった。「余裕だと思って突っ込んでいったら、いきなりバーンッって倒されて、すごいムカついた」という。そのときからワカスギさんは、とにかく倒されたやつに、勝ちたいという一心で真剣に教室に通うようになった。 カポエラをやるうちに、「暴走族がカッコ悪く思えてきた」ワカスギさんは、ヤンキーの仲間とも徐々に会わなくなり、カポエラが生活の中心になっていった。 「部活も喧嘩して辞めて、中学も行かなくなって、それまではいろんな物から逃げてたけど、今回はちゃんとやろうかなと思ったんですよ」 そう思えたのは、道場の先生の存在も大きかった。 「カポエラの先生が、僕らの居場所を道場の中に作ってくれた感じなんですよ。練習が終わると、みんなで輪になって先生とたわいもない話をするんです。先生に気にしてもらえる事が嬉しかった」 その後、ワカスギさんは夜間高校に進学し、昼間は自動車部品関連の工場で、働き始める。カポエラを始めてから忍耐強くなり、それが仕事にも繋がっているという。「せっかく入った職場で、クビになりたくないですし」と笑顔を浮かべる。 「出来ないことがあってもぶち壊さずに、出来るまで努力するようになりました。あたらしい技を練習するみたいに、仕事も覚えていく感じです。たまにイラついたりもするけど、集中力もついたし、乗り切れるようになって。全部、カポエラとおなじです」 そんな、ワカスギさんにも心配ごとが一つある。 「お父さんが最近、あと2年ほどしたらにブラジルに帰るとか言いだして、いま家ですごい揉めてるんですよ」 それは彼の人生を左右する重要な話だ。彼らはそうした常にふたつの祖国の間で身の振り方を決めなければならない立場なのだ。そうしたことに私たちはどれほど関心を寄せているだろうか。 彼は深刻な表情を浮かべる。ブラジルには戻りたくないの?と聞くと、「ええ、まぁ」と歯切れの悪い返事のあと、あと沈黙が続いた。 「正直、自分でも分からないんです。ブラジル戻るのが良いのか、日本に居たいのか……普段は自分が日系ブラジル人だって意識はしてないんすけど、日本の職場や学校だと教師や上司から”こいつはブラジル人だ“って見られるじゃないですか。でも、ブラジルに行ったら、”こいつは日本人だ”って言われて外国人扱いされるんです」