“床上70センチ”の被害! 西日本豪雨で実家が被災した元NHKキャスターの「離れた親」との実録
7月7日(土) 1:30 避難指示発令 「日付が変わって避難指示も発令され、このままだとふたりが危ないと思って連絡したのですが、母たちは寝ていたようで。『寝てる場合じゃないよ、避難指示が出てるよ!』『とにかく早く逃げて!』って、電話やメールで何度も連絡しました」。 そんな中、ついに実家にも被害が。裏手の畑にまで浸水してきてしまったのだという。 「ザーっと水が流れる大きな音が迫ってきて気づいたようです。これはマズイと感じ、真夜中に必要最低限の荷物をまとめて、足の良くない祖母を連れて家から避難したんです」。
江の川の上流には浜原ダム(貯水量1120トン)がある。 このダムには洪水調整機能がなく、満水になれば増えた水量がそのまま放流されてしまう。当時の最大放出量は毎秒7260トン。貯水量から考えると、とてつもない水量が川へ流れ出ていたことが窺える。 「避難したといっても高台にある近くの広場に行っただけなんですけどね。真夜中で視界も悪く、指定避難場所までは徒歩で30分ほどかかる。すでに道路も浸水していたので、とりあえずの一時避難にはなりましたが、水が来ないエリアまで逃げることができました。 しかし、バックウォーター現象(下流側の水位が上昇し上流へ逆流する現象)によって水が流れ込む範囲が広がってしまい、夜明け前に実家は浸水。床上70センチくらいまで浸かってしまいました」。
7月7日(土) 夕方 水が引く 「『実家が浸水した』という連絡が来ましたが、母たちの無事が確認できたときは、もう本当にホッとして。それと同時に、スマホの充電が切れないよう連絡は最低限にしました」。 日中には雨も止んだが、水が引いたのは夕方だった。同じ町内では、避難所となった小学校の1階部分が浸かるほど浸水したという。 「水が引くまで、ふたりはずっと高台の広場や近所の知人宅で過ごしていたそうです。とにかく心配で、すぐに駆けつけたいけど、水が引かないうちは帰れない。すごくもどかしかったのを覚えています」。