事故でほぼ失明状態のサッカー選手が語る奇跡の復活。目標は「Jリーガー」
しかし、リハビリは過酷を極めた。術後4ヵ月で動けるほどには回復したが、歩けるようになるまで長い時間を要した。ダッシュやジャンプと段階を経て、肝心のボール扱いでは、従来とまったく違う感覚に不安を覚えたこともある。それでも、松本はわずか約1年でプレーできる水準にまで戻したのだ。 松本には手を差し伸べる者も多かった。古巣のオークランド・シティはクラブW杯出場が内定していたこともあり、20年に松本へオファーを送っている。コロナ禍の影響で結果的にチームに合流はできなかったが、後に生きた気づきもあった。 「日本人がケガから復活するというストーリーが話題になると思った面もあるかもしれません。ただ、僕は〝客寄せパンダ〟でもいい。入団したら実力で納得させればいいとプラスに考えたんです」 22年にはFリーグのデウソン神戸に加入。懐疑的な意見もある中、キャプテンも務めて1シーズンを過ごした。そうして、23年夏にはハミルトン・ワンダラーズ(ニュージランド)で、ついにサッカーの公式戦へと復帰した。 加入後8試合の全試合に出場。その後はソロモン諸島のクラブで国際大会に出場し、充実のシーズンを終えた。ケガをした当初からすれば大きな前進でもある。しかし、松本が満足した様子はみじんもない。 「ほとんど給料はありませんでした。でも、目のことを言われたことはなく、居心地はいい。『(エドガー・)ダービッツもゴーグルをしていた』と言うと、みんな納得するんですね。 生活は、チームメイトが豚を捕獲して食べたり、魚は銛で捕まえ、飲料水がないからココナツを割って飲んだりと、本当の自給自足生活も経験しました。(2度目の)クラブW杯出場を果たしていないですし、僕のサッカー人生はまだまだこれから」 弱視となってからの努力を知り、今では11のスポンサー、パートナーを含めると20の企業が松本を支援している。同世代の選手の大半はユニフォームを脱いだ。それでも、現役にこだわる理由がある。 「フィジカル測定をすると、ケガ前より数値がいい。ケガ前を100とすると、今は110はあります。走って蹴るだけだった選手が、プレーの幅も広がった。ヘタで課題が山積みだから、毎日やるべきことをやるだけですね」 今冬にはオセアニアのクラブへの入団が内定しているという。松本の心に映る〝未踏の世界〟は、まだ道半ばだ。 取材・文・撮影/栗田シメイ