「音楽をつくることは喜び。それは変わらない」――米津玄師が語る、AI時代の音楽との向き合い方
33歳になって自覚する立場の変化「失うことを受け入れる」
二十歳のときに、ボカロクリエイターであることをやめて、自分の名前と声で歌っていく決断をした。2018年の「Lemon」での大ブレークを経て、ドーム公演を含む全国ツアーを敢行するまでになった。しかし本人は「別段広い会場でやることに感慨がない人間」と、いたってクールだ。これまでのライブのMCでも、一体感をあおるのではなく、どのように聞いてくれても構わないと伝えてきた。それはなぜなのか。 「でもそれは、自分の弱点だなとも思いますね。要するに一つのムラをつくれないというか。帰属意識をまったく持たない人間はいないと思いますし、自分は何にも属していないとも思わないけど、それが強い集団ってあるじゃないですか。ムラの中の共通認識というか、掟のようなもので互いを強固に縛り合う関係というか。音楽に限らず、田舎のコミュニティーにもそういうのってあると思うんですけど、その中でしか巻き起こらない圧倒的な強さ、速さはやっぱりある。一方で、そこに入れない人間はとてつもなく手痛い目に遭う。自分は田舎の生まれですけど、入れなかった人間なので。それは自分の性質だからどうしようもないし、何ごとにつけ、くたびれた老人のようにすべてを眺めてしまう。そういう性質があるからこそ、解像度とか解釈とか言われているのかもしれないし、裏表ですけどね」 その姿勢を人に勧めるつもりもない。 「みんなで一緒に盛り上がってもいいと思うんですよ。みんなで一つになる体験って、実はすごく得がたいことなんだろうなとも思うんです。うちらの世代は、決められたレールに乗らないという選択を尊いことだと思って生きてきがちでしたけど、今の若い世代の子たちって、そもそも“こうあるべき”みたいな正解像が特にない。娯楽も価値観も多様化が認められつつあり、最初からてんでバラバラな方向を向いているから、バラバラであることは当たり前っぽいんですよね。だからこそ好きで一つになる選択肢を取ったんだと言われたら、こちら側の『好きにやれ』『一つにならなくてもいい』というメッセージは、向こう側からすると何を当たり前なことを、としか思わないのではないか。それでもなお時たま垣間見える全体主義っぽい現象を見ると、やはりゾッとはするけど、それを踏まえた上で、おのおのがおのおのの倫理観を涵養(かんよう)しながら生きていけばいいと思いますけどね」