生成AIの発展と、クリエイターの権利保護は両立する? 上野達弘さんインタビュー後編
作品の「類似性」はどう判断されるか
―AIがつくったものと人間がつくったもので類似性の判断が変わることはないというご指摘は、その通りだと思いました。 上野:類似性に関して従来から言われているのは、いわゆる「アイデア・表現二分論」というものです。著作権は具体的な表現を保護する一方で、アイデアやスタイル、作風、画風、世界観といったものは抽象的すぎて、著作権による独占にはふさわしくないため、著作権法上は自由だという原則です。 例えば「ディズニーのスタイル」というものがディズニーによって独占されてしまったら、表現が萎縮してしまいます。そうしたスタイルは、著作権法上自由だったからこそ文化が発展してきたと考えられます。 上野:手塚治虫の『ジャングル大帝』があったからディズニーの『ライオン・キング』ができたかもしれないし、黒澤明監督の作品が『スター・ウォーズ』シリーズに影響を与えたのではないかとか、芸術や表現は影響しあってさらに発展していく。スタイルは著作権で独占させず、フリーだからこそ新しい作品が生み出されるという、世界中で異論なく共有されている考え方です。 上野:したがって、類似性というのは、抽象的なスタイルではなく、具体的な表現の共通性があるかどうかで判断することになりますが、表現とアイデアの区別が微妙なのもたしかです。訴訟でも一審と二審で結論が変わったり、学説がわかれたり、さらに国によって違ったりもします。そんな類似性判断について、今回の「考え方」が明確な方向性を示すことは到底無理ですし、また適切でもないように思います。 私も『著作物の類似性判断』という本を2021年に出して、分野毎に過去の裁判例を網羅的に紹介・分析しているんですが、結構判断が分かれていて、必ずしも一貫性があるように見えないこともあるんですよね。時代によって変化しているように見えることもあります。 このように類似性というのはどうしても不明確なところが残るのですが、実務の現場で、判断に困ることも多いかと思いますので、せめて過去の裁判例を紹介して、この事件ではこんな判断がされましたということを示しているわけです。 ―類似性の判断は判例を見ていくしかないんですね。 上野:はい。もちろん、判例を見ても明確な判断基準を持つことまでは難しいかと思うのですが、判断の参考にはなるかと思います。 類似性の判断基準を明確にすべきだという考えもあるかもしれませんが、できたとしても望ましくないように思います。たとえば音楽なんかでも、3小節までだったら似ててもOKというルールが考えられますが、たしかに明確だとしても、それでは硬直的すぎてつねに適切とは言えないですよね。 その上で、著作権侵害というのは、これが認められるとものすごく重たい責任が課せられます。損害賠償や差し止めだけではなく、懲役10年以下の刑事罰が科せられることもあります。あまりにも簡単に類似性が認められてしまいますと、クリエイターの創作の自由が制約されてしまいます。ですので、類似性というのは、表現の自由という観点から、慎重に判断する必要があります。裁判所もバランスをとりながら慎重に判断していると思います。