原発被害の大熊町に子どもは戻るのか? 0~15歳を対象とする「ゆめの森」の挑戦 #知り続ける
「黒板に教師が書いてそれを児童生徒が書き写す。こうした従来の教育方法はたしかに“勉強した”ように見えます。でも、じつは書き写しただけで、理解していないかもしれない。今回あえてAIを取り入れるのは、子どもたちが本当にどこまで理解しているかを随時教員がチェックし、指導できるからです。目指しているのは、教師が教えるだけの勉強ではなく、子どもたちが自分の進度に沿って主体的に勉強を進められるやり方なんです」
障害のある子にも扱いやすい教育
タブレットを使った教育は、障害のある子にも扱いやすいと佐藤校長は言う。 「いまうちの学校には数人の障害のある子がいます。その子たちにとって、動きがあったり、見やすく調節できたりするタブレットは有用です。それは多様性を認め合う包摂的な教育という方針にも合致しています」
ゆめの森に向ける教員側の熱量は高い。では、来春の開校時に何人がこのゆめの森に通う予定なのか。木村教育長は、人数は多いわけではないと言う。 「大熊町立学校に通う8人のうち、6人のお子さんが通うことになっています。親御さんの意見としては、第一に自分のふるさとで子どもを育てたい、第二に先進的な教育にも触れさせたいということでした」 小6の2人は中学進学にあたって会津若松に残ることを選んだという。残る人、戻る人それぞれどんな思いがあったのか。
大熊か会津か、時間との問題
「もともとうちは大熊に帰れるようになったら帰りたいと家族では話していました。ただ、実際に戻れるという話があったときは戸惑いもありました」 そう語るのは、町立学校に2人の子どもが通う齋藤やよいさん(48)だ。中1の羽菜さんと小4の輝くんが通っている。齋藤家では来春、大熊町に戻り、ゆめの森に通うことを決めた。
ただし、決めるのはそう簡単ではなかった。2011年の避難から何年も経ち、会津での人間関係もできている。そこから離れ、大熊に移転するとなれば、それもつくりなおしになる。父親の仕事に関しては会津でも大熊でも問題がなかったが、迷ったのは大熊の学校のあり方だった。輝くんには障害があり、特別支援学級などの体制が整っているかが心配だった。 「会津の学校では、リハビリや放課後等デイサービスなどの支援を受けさせてもらっていました。大熊でそんな体制を組んでもらえるか。それがわかるまでは、『戻る』と言い切れないところがありました」 ほかの家庭もみな、歓迎と戸惑いの狭間にいたと齋藤さんは振り返る。 「とくにこの数年で会津に家を建ててしまった家族は迷っていました。会津に残ったほうがいいのか、それとも会津の家は誰かに貸して、大熊に帰ったほうがいいのか。ただ、帰るにしても問題がありました。いまのところ(4人以上が暮らせるような)ファミリー向けの住宅はないし、自分で建てたくても建てられる土地もない。また、病院や店など、ちゃんと生活できる環境なのか。結局そういう将来像が見えづらいので、会津に残る決断をした家もありました」 帰還して、学校に戻ってと町は言う。だが、町民の立場に立つと、住宅や教育など役場での連携がとれているとは感じられなかったという。