原発被害の大熊町に子どもは戻るのか? 0~15歳を対象とする「ゆめの森」の挑戦 #知り続ける
町の方針転換で混乱した保護者
町は2017年秋に教育大綱で、2022年春に大川原地区での幼稚園や小中学校の再開を目指すことを表明していた。実際には1年遅れ、開校に6年を要する。仮に子どもが通ったとしても、現状で大熊町には高校はないため、中学卒業後はまた別の地域に通わなければならない。どれだけの期間ゆめの森に通えるかも考えなければならない要素だった。 また、会津の町立学校の存続も保護者の検討対象になった。2017年の教育大綱では、会津若松市内の幼稚園、小中学校は「当分の間(少なくとも5年間)は継続し、それ以降は保護者と個別に相談する」と示されていた。 だが、2020年になって会津の学校は存続せずに閉校すると町は方針転換した。これに不信感をもった親もいる。 「前任の教育長は『会津に学校は残す』『保護者の意見を尊重する』と言っていたのです。ところが、いまの教育長の体制になって、保護者との最初の懇談会で『会津の学校は閉じます』と言われた。約束を反故(ほご)にされたわけです」
そう語るのは馬場由佳子さん(46)だ。町立学校には小6の娘、結梨花さんが通っている。4月からは、ゆめの森には行かず、会津若松市内の中学校に進学する予定だ。 結梨花さんは進学にあたって二つ希望があった。一つは入学したら転校したくないこと、もう一つは町立学校の同級生と同じ中学に進学したいという希望だ。だが、同級生は会津の中学校への進学を決めたものの、学区の違いで同じ中学に進めないことがわかった。そのとき、大熊に戻るという選択肢もあったが、教育委員会への不信感と先進的な教育システムがどれほど効果的なのかという疑問から、会津の中学校を選んだ。 「でも、それを町に伝えても『いままでの教育では立ち行かない』と言われるばかりで、不安が解消されないのです。それは他の保護者も感じていることでもあります」
そして、それら以上に戻れないと馬場さんが思った要因は放射線量だ。除染が徹底された大川原地区では、空間線量は毎時0.120μSv(マイクロシーベルト)ほど(2022年2月現在)。国際的な基準である年間限度1mSv(ミリシーベルト)に達するには、十分余裕がある線量だ。ただし、大熊町では、大川原地区以外の地区で毎時1.0μSv以上というところもある。 馬場さんは言う。 「役場や教委の人たちは大丈夫だと言いますが、私にはまだそこまでとは思えません。私も本当は大熊に帰りたいんです。でも、子どもと一緒に戻るのであれば、その線量の不安が解消されてからかなと思います」