「白目の面積を大きくする整形手術を受けた」37歳女性がお化け屋敷で“驚かせること”に人生を賭けるまで
家賃が払えず、キャバクラで働くことに…
現在でこそ怖がらせ隊のお化け屋敷プロデューサーとして君臨する岩名氏だが、当時はまだ大学生。しかし圧倒的な演技力に魅了され、ホラーゲームクリエイターとして成功を収めつつあった今出氏はプライドもキャリアもあっさり捨てた。 「私はすぐに退職し、岩名とほか2名と一緒に、お化け屋敷制作の制作団体を立ち上げました。4人でルームシェアをしながら、オンボロ一軒家で生活しながらひたすらお化け屋敷を作る生活です。しかし想像に難くないと思いますが、そんな生活がうまくいくはずもありません。貯金はあっという間に底を尽き、貯金どころか家賃を払えなくなりました。生活が困窮し、仲間は一人離れ二人離れ、気づけば岩名とふたりきり。ご飯も梅干しとわずかな白米だけで何回もやり過ごしました」 生きていくため、お化け屋敷以外での収入も必要だった今出氏は、水商売も経験した。 「キャバクラに勤務して、業務が終わったらまた違う店舗で朝キャバをやったり……私は何をやっているのかなと(笑)。今でこそ笑い話ですが、当時は本当に精神を病んでしまいました。心配した父親から『大丈夫なのか?』と電話がかかってきて、『大丈夫にするしかないじゃろ!』と怒鳴ったのをよく覚えています」
「お化け役の控室」にブルーシートを敷いて暮らすことに
そんな2人を見かねた人物が、千葉県館山市にあるお化け屋敷の運営を依頼してきた。住居も用意するという好条件に思えた。 「チャンスをいただけたことはありがたかったのですが、結構過酷な環境だったと思います。私たちの居住エリアは、お化け役の人たちの控室です。そこにブルーシートを敷いて暮らしていました。当時、私は30歳前後だったと思います。30歳、住所・お化け屋敷の女でした(笑)。場所がアクセスの良いところではないので、そもそもそんなに集客ができず、そうした意味でも困りました。くわえて、私たちの居住エリアと炊事場の間にお化け屋敷があるという間取りなので、毎回ご飯を持ってくるときとお茶碗を洗うときは、惨殺死体の模型が転がっているところを通り抜けなければなりません(笑)。懐中電灯を口にくわえながら、恐る恐る歩いたりして、本当に怖かったですね」 自分で選んだ道とはいえ、おそらく多くの人が一生することのない体験を重ねた。だがその先に、救いの手は差し伸べられた。 「あるとき、株式会社バンダイナムコアミューズメントさんからお仕事をいただきました。それから徐々にメディアからの監修依頼なども増えてきました。今はさまざまなご依頼に対応できるように、コンセプトごとに演者や小道具を使い分けてクライアント様のご希望に添えるオーダーメイドのお化け屋敷を展開しています」