日本人の「自画像」の書き換えが必要とされる理由 「経済大国」から「アニミズム文化・定常文明」へ
加速する「スーパー資本主義」、持続可能性を前提とする「ポスト資本主義」の「せめぎ合い」はどこへ向かうのか。『科学と資本主義の未来──〈せめぎ合いの時代〉を超えて』著者で、一貫して「定常型社会=持続可能な福祉社会」を提唱してきた広井良典氏が、「日本人論」を刷新し「アニミズム文化・日本」の可能性を検討する。今回は、全2回の前編をお届けする。 日本人論をめぐる構造 ■失われた「日本の自画像」を求めて 「失われた〇〇年」といった表現を含め、日本社会がさまざまな面で漂流を続け、混迷しているという認識が広く共有されるようになってすでに長い時間がたっている。
こうした閉塞状況が継続する背景には、戦後の日本において“国を挙げての”ゴールだった「経済成長」という目標が、物質的な豊かさの飽和のなかで十分機能しなくなる一方で、それに代わる目標や価値、あるいは「実現していくべき社会像」を日本社会が見いだしえていないという点があるだろう。 同時に、そもそも私たちが自分たちの生きる「日本」という国ないし社会について、どのような“自画像”を描き、自らのアイデンティティをもつかという点が、現在の日本においてはきわめて見えにくくなっていることが閉塞状況の根本にあるのではないか。
言い換えれば、かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛されたような、昭和の高度成長期に見られた一過的な「経済大国」的自画像に代わる、新たな日本の自己イメージの構築がいま求められているのである。 こうしたテーマについて、私は2023年に公刊した『科学と資本主義の未来』において関連する問題提起を行い、また本オンラインでの論考〈実は「世代間ギャップが大きい国」だった日本〉〈「団塊的・昭和的・高度成長的」思考からの転換期〉で序説的な議論を示したが、ここでは以上のような「日本像の再構築」という話題について、それを“「経済大国」から「アニミズム文化・定常文明」へ”という視点を中心に考えてみよう。