パレスティナ問題に考える歴史的ルサンチマン(中) 空想的社会主義、科学的社会主義に続くのは地球的社会主義?
マルクスとエンゲルス
19世紀後半、マルクスとエンゲルスは、それまでの理想主義的社会主義を「空想的社会主義」と呼び、自分たちの社会主義を「科学的社会主義」と呼んでその進歩性を主張した。科学的とは、資本主義の経済学的かつ哲学的分析を基本として社会主義革命を歴史的必然とする考え方を指す。いわゆる弁証法的唯物論である。革命の主体となるのは、富裕なブルジョワの子弟でも知識人でもなく、劣悪な環境で酷使される労働者あるいは農民であり、これはローマ帝国の底辺で強化されたユダヤ教に似た、都市化のルサンチマンの「底辺の救済」パターンである。 しかし実際の革命は、資本主義が発達した国の内部における疎外された階級によるのではなく、むしろ先進的な資本主義に隣接する外部において実現した。西欧に隣接するロシアや東欧、あるいは北米に隣接する中南米、あるいはアメリカを背景として資本主義化した日本・韓国・東南アジアの資本主義国に隣接する中国・北朝鮮・ベトナム・ラオス・カンボジア・ミャンマーなどである。これはローマ帝国の周縁に広がったイスラム教に似て、都市化のルサンチマンの「周縁の戒律」パターンである。人間は、自由を求めると同時に規律を求めるものでもある。先進資本主義国が標榜する「自由」の論理に、その周縁の人々は圧迫を感じ、むしろ社会主義的規律によって国家の力を強化する道を選んだのだ。 以上、図式的に論じたが、都市化に対する社会的なルサンチマンは「底辺の救済、内部の贖罪、周縁の戒律」という三つのパターン(詳細は前回論じた)をとる傾向がある。それが一神教にも社会主義にもつうじるのだ。このパターンは、個人的な都市化のルサンチマンにもつうじるように思われる。「苦悩からの救済、贅沢に対する贖罪、空虚における規律」というかたちにおいて。
ルサンチマンによって冷戦に組み込まれる中東の戦い
本来、中東の問題は資本主義 vs 社会主義の構図とは少し異なっていた。 第二次世界大戦後、英米の主導によって建国されたイスラエルに対する、土地を奪われたパレスティナ人のルサンチマンを核として「イスラエル+英米あるいは西側陣営」vs「パレスティナ+アラブあるいはイスラム陣営」という構図が形成される。さらに、前回述べたように、ユダヤ系の人々が近代的都市化現象の先端で活躍することもあり、アメリカの政治に対するユダヤ系の影響力が強いこともあって、イスラエルは近現代の都市化のメインストリームの先端的象徴の意味をもつ。 そしてそれに対抗するアラブ(イスラム)陣営は、これも前回述べたような、古代ギリシャ・ローマから近代西欧・北米へと続く都市化のメインストリームに対するルサンチマンを有する。そう考えれば、反資本主義・反西側の立場に立つソビエトと社会主義陣営がアラブ陣営につくのも必然であった。唯物弁証法の立場から宗教に否定的なマルクス主義と、イスラム教信仰が結びつくのは論理的ではないが、いわば「敵の敵は味方」という論理である。