大惨事の記憶を忘れない! 大分市の最新「道の駅」に「レトロ電車」が保存されたワケ
移設された別大国道と怪談の消失
そのようにして、現在たのうららがある場所は旧道となり、別大間の移動でかつての電車埋没事故が起きた地点にある落石ガードやお地蔵さまの横を通ることはなくなった(新しい道からも眺めることは可能ではあるが)。 実は、別大電車の事故後に鎮座したお地蔵さまは、地元では怪談のひとつとして 「夜にお地蔵さまが手招きをする」 などさまざまなエピソードが語られていた。そうした意味でも、別大電車の事故の記憶は若い世代に継承されていっていた。 しかし、別大国道が沖合に移ると、そうした怪談が語られることすらほとんどなくなってしまった。今では、落石ガードやお地蔵さまが設けられた経緯はおろか、ここにお地蔵さまがあること自体を知らない人が多くなっているであろう。 つまり、この地に路面電車が保存された理由は「かつて電車が結んでいた大分市と別府市の中間地点であるため」であるのみならず、 「この地で起きた大惨事を未来の世代へと伝えていくため」 でもあり、地域防災における重要な使命を担っているといえるのだ。
「邪魔もの」から「シンボル」へ
最後に、506号がたのうららに保存されるまでにたどった複雑な道のりについて触れたい。 別大電車の廃止後、大分県内には合計5両の車両(大分市3両、別府市1両、宇佐郡1両)が保存された。一方で、すでに多くの都市で路面電車の廃線が進められていた上、連結運転や専用軌道上での高速運転に対応すべく間接制御車となっていたためか(多くの路面電車はコントローラーで回路を直接制御する方式)他社からの車両の引き合いは少なく、2両が岡山電気軌道に嫁いだのみだった(この2両は現在も岡山で運転機器のみ現役で使われている)。 別大電車の廃止後、保存もしくは売却された車両は、ほとんどが1950年代後半に製造された比較的新しい500形だった。しかし、多くの保存車両はすぐに荒廃してしまう。それは 「路面電車は邪魔もの」 とされた時代を象徴するような出来事であった。国鉄大分駅前の一等地にある若草公園に設置された506号も同様であった。 506号が保存されたのは若草公園の、ニチイ大分ショッピングデパート(→大分サティ。1973年開店、2009年閉店)前。商店街にも隣接しており人通りが絶えない場所だった。しかし、早くも1980年代には窓ガラスが全て割られたため金網が張られるようになっており、その後、方向幕や種別幕も金属板でふさがれた。 さらに、1990年代の再塗装の際には金網が貼られているところを避けて塗装されたためか、前面部の塗装が現役時代と変わってしまった(その他も細部の塗装が現役時代と異なっており、2024年時点もそれは修正されていない)。