大惨事の記憶を忘れない! 大分市の最新「道の駅」に「レトロ電車」が保存されたワケ
移設後の別大電車
1996(平成8)年、大分市は若草公園の再整備に合わせて野外ステージの設置を決めた。その工事に当たって別大電車が障害となった。 再び邪魔もの扱いされることになった506号。その後、2年間も行き先が決まらなかったものの1998年にようやく大分市東部郊外にある大分市立佐野植物公園へと移設されることが決まった。植物園は入園無料で気軽に見ることができるものの、公共交通でアクセスできないような場所への移設となってしまった。 沿線から遠く離れた場所に移設された506号ではあったものの、移設されるまでの2年間に車体更新ともいうべき全面改修を受けた。これにより元の車体の上から新たな外板が貼られたと見られ、さらに側面のいわゆる「バス窓」は完全に作り替えられてアルミサッシ化された。 車内もバス用部品を用いて補修されており、一部の運転機器やメーター、銘板、シートなどは現役当時とは大きく異なったものに取り換えられた。
「里帰り」計画始動
この頃、別大電車の保存車両は501号と506号の2両のみとなっていたが、西大分駅近くにあった501号はかつての506号と同様にガラスがなくなるなど荒廃が激しく、2004年に解体されてしまった。 佐野植物公園は人里離れた場所にあり、また夜間に閉園することもあってイタズラされることも少なくなった。しかし、沿線から遠く離れた地での屋外保存ゆえに電車の知名度は低かった上、次第に老朽化も進んだ。 そうしたなか生まれたのが、別大国道旧道跡に計画された道の駅への 「別大電車の里帰り」 計画だ。 地元メディアの報道によると、この里帰りはかつて別大電車の沿線であり、そして大きな事故の現場となった田ノ浦地区の地元住民による要望もあったという。
52年のときを超えて再生した電車
2024年7月7日、たのうらら開業。 別大電車はたのうららのシンボルとして、館内に格納されるかたちで保存されることとなった。移設保存に当たって種別幕など保存中に現役当時と変わってしまった一部設備の復元も行われた。 別大電車の横には別大電車の歴史紹介パネルや古い写真が設置されており、そこには電車が災害に巻き込まれた日のものもある。さらに軌道は屋内へと伸びて、イベント時には電車を屋外の仏崎を望む場所まで動かして引っ張り出すことができるようにもなった(ただし動力は「人力だけ」とのこと)。 現在、別大電車は「たのうらら限定・別大電車グッズ」が販売されるほどの人気者となっている。郊外で忘れ去られつつあった古い電車を整備し、再び注目を浴びる存在へと生まれ変わらせてくれた関係者の尽力には頭が下がる。 別大電車の廃止から52年。さまざまな人の思いを乗せてようやく安住の地を得た小さな電車は、今後も道の駅のシンボルとして、そして地域の歴史を伝え続けてくれる存在として、末永く親しまれるであろう。
若杉優貴(商業地理学者)