樋口恵子92歳「32歳の時、夫が急死。娘を抱えて働きながら婦人運動に参加。先輩方が苦労して開墾した道を歩み続け、そして後輩へ」
NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長の樋口恵子さんによる『婦人公論』の新連載「老いの実況中継」。92歳、徒然なるままに「今」を綴ります。第19回は、【これからも道は続く】です。(構成=篠藤ゆり イラスト=マツモトヨーコ) 【写真】「後に続く若い世代の人たちがさらに道を広げ、女性が自分らしくのびのびと生きられる社会にしてほしい」と話す樋口さん * * * * * * * ◆後輩たちに思いを託して 今年6月に開かれた「高齢社会をよくする女性の会」の総会で、理事長を退き、名誉理事長となりました。会の設立は1983年ですから、40年以上、理事長を続けてきたことになります。 数年前から、そろそろ後輩に道を譲るべきだと考えていましたが、優秀な方々が継いでくださることになり、肩の荷が下りてほっとしております。 毎年各地で大会をやってきたので、それぞれの土地で活動される方も増えてきました。みんなで蒔いた種が、各地で次々と芽を吹いていく様子をこの目で見ることができたのは、このうえない幸せでした。 私は今、92歳ですが、この歳まで活動を続けることができたのは、先輩方の背中を見てきたからです。私が女性問題に〈覚醒〉したのは、32歳のとき。夫の急死により、4歳の娘を抱えて寡婦になり、当時の主婦や働く女性がどれほど弱い立場にあるかを思い知らされたことがきっかけでした。 女性は一人前の働き手としては見なされず、職業選択の幅は限りなく狭かったため、一家の働き手である夫を失うと困窮する家庭も少なくありませんでした。 私は幸い仕事を持っていましたが、シングルマザーとして生きていく不安もありました。だから新聞で「日本婦人問題懇話会」の記事を見たとき飛びついて、イベント会場に足を運んだのです。 同会に参加するようになり、婦人運動の先駆者のお一人であられる山川菊栄さんや、労働省(現・厚生労働省)時代に男女雇用機会均等法制定の中核を担った赤松良子さんをはじめ、多くの先輩方と出会いました。 そしてときには鍛えられ、ときには甘えさせてもらうことで、人生の新しい扉が開いた次第です。
【関連記事】
- 樋口恵子「高齢者ひとりでも大丈夫」と思いたいけれど、全然大丈夫じゃないと老いて実感。同居家族がいても「おひとり死」はありうることと心得るべし【2023編集部セレクション】
- 樋口恵子×上野千鶴子 高齢の親にとって「最期まで家」「施設」のどっちが幸せ?上野「本人に選ばせたらほぼ100パーセント、自分の家にいたいと言うはず」【2023編集部セレクション】
- 黒井千次×樋口恵子「91歳から見る70代は〈老いの青春時代〉だ。やろうと思ったことはできるし、昔は言えなかったことも言えるように」【2023編集部セレクション】
- 樋口恵子「封建的で男女差別の激しかった時代に、少女小説で一世を風靡した吉屋信子。〈女は女にやさしくあらねばならない〉の言葉をかみしめて」
- 樋口恵子 ピンピンコロリが理想でも、現実はそう簡単に…ドタリと倒れてから「さてどうやって生き延びるか」こそが大きな課題【2023編集部セレクション】