樋口恵子92歳「32歳の時、夫が急死。娘を抱えて働きながら婦人運動に参加。先輩方が苦労して開墾した道を歩み続け、そして後輩へ」
◆尊敬してやまない市川房枝先生 婦人問題にかかわるうちに、すばらしい先輩方を紹介されました。そのなかのお一人が、尊敬してやまない市川房枝さんです。 市川房枝さんは、1893(明治26)年に農家の娘として誕生。まだまだ封建的だった時代に苦労してアメリカに渡り、ハウスキーパーをしながら女性の地位向上について猛烈に勉強しました。 戦前は平塚らいてうさんらと組んで女性の参政権を獲得する運動を始め、戦後、60歳直前で参院選に初当選。女性差別撤廃条約批准を推進しました。そして1980年の参院選では、87歳で全国トップ当選。生涯を通して、女性の権利向上のために奮闘してきました。 私も何度か、直接お会いする機会に恵まれました。アメリカで勉強しようかと考えていた時期には、ご自宅に招待していただき、ご馳走になったうえ、お餞別にドル紙幣をいただいたこともあります。 私は英語ができなくて、力が足りず、結局アメリカに勉強には行けなかったので、あきれられたかもしれません。それでもその後も時折声をかけていただき、光栄の至りです。 また、婦人問題懇話会でお世話になった田中寿美子さんは、なにかにつけ「樋口さん、この活動をもっと広げるよう頑張ってみたら? アメリカでは、女性の社会的地位向上のための団体がある。ああいうものを創ったら? 市川先生もそうおっしゃっているわよ」と、ハッパをかけてくれたものです。 それで始めた介護問題などの活動をきっかけに、「高齢社会をよくする女性の会」につながっていきました。「市川房枝記念会女性と政治センター(婦選会館)」の入り口には、先生の「平和なくして平等なく、平等なくして平和なし」という言葉が掲げられています。これは、私にとっていわば金科玉条。一生、唱え続けたい大切な言葉です。
◆解消されないジェンダーギャップ 昨年、『日経WOMAN』の元編集長の野村浩子さんが、『市川房枝、そこから続く「長い列」――参政権からジェンダー平等まで』という評伝を上梓されました。それを読んで、「あぁ、なんと偉い人なんだろう」「本当にすごい!」。なんだか子どもみたいですが、正直な読後感です。 そして、100年前に女性の地位向上のために人生を懸けた人がいたことを決して忘れてはいけないという思いを改めて強くしました。 先輩方が全身全霊で闘い、道を少しずつ広げてくださったのに、いまだに日本のジェンダーギャップ指数は世界146ヵ国中118位(2024年6月12日発表)。バトンを渡された私たちの力不足と、この国の手ごわい保守性に、思わずため息が漏れてしまいます。 とはいえ、100年前に比べると女性の地位が少しずつ向上してきたのも事実です。先輩方が苦労して開墾した道を、私たちは手をとり合って歩いてきました。 この先、後に続く若い世代の人たちがさらに道を広げ、女性が自分らしくのびのびと生きられる社会にしてほしい。微力ながら〈長い列〉に加わった一員として、みなさんの活躍を切に願っています。 (構成=篠藤ゆり)
樋口恵子
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