「平家」と「源氏」の「大きなちがい」とはなんだったのか…日本の古典の「重要な土地」を訪れて気づいたこと
水上バイクと「泳ぐ馬」
『平家物語』によれば、敦盛は馬に乗ったまま沖に漂う味方の船を目指し、5、6段(54~65メートル)ほども行ったところで、熊谷直実に呼び戻され、浜辺での戦いで討たれたとあります。それがちょうどいま、水上バイクが止まったあたりなのです。岸からはかなりの距離です。 そんな敦盛を、熊谷直実は扇をあげて呼び返します。もし、この呼びかけに敦盛が戻らなかったらどうだっただろうか。そんなことがふと思い浮かびました。 ひょっとしたら敦盛は、そのまま味方の船に乗ることができ、生きながらえたのではないか、そして熊谷直実も出家をすることはなく鎌倉時代になってからも有力な武士として活躍したのではないか。 海のない熊谷(埼玉県)で生まれ育った武将である直実は、馬を泳がせて敦盛を追うことができなかった。それに対して海の民である平家の一門である敦盛は、馬を泳がせる技術を持っていた。逃げようと思えば敦盛は、充分に逃げ切ることができたのではないか。 しかし敦盛は戻ってきた。そして熊谷に「とうとう(早く)首を取れ」といった。 ひょっとしたら敦盛の死は自死にも近いものではなかったか、などとも思ったのです。 そして、馬を泳がすことのできる平家と、馬で山を越えることのできる源氏。馬という非・人間である他者を媒介に、この両者の対比がはっきりと現れたのがこの一ノ谷の戦いではなかったか。そうも思いました。
安田 登(能楽師)