「平家」と「源氏」の「大きなちがい」とはなんだったのか…日本の古典の「重要な土地」を訪れて気づいたこと
「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。 安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」についてご紹介していきます(第15回)。 この記事は『日本の古典を読む時に「ものすごく重要」になる、兵庫県の「土地の名前」をご存知ですか?』より続きます。 前回の記事では、日本の古典を読む時に重要な役割を果たす「須磨」という土地について簡単に解説しました。ここでは、さらに須磨という土地のもつ「魔力」を紹介していきます。 *
「須磨」を訪ねて
さて、歌枕探訪、謡跡探訪を兼ねて須磨を訪れました。私は能楽師(ワキ方)なので、まずは能『敦盛』の謡跡を探します。 須磨浦公園駅で電車を降りる。駅に降りると海を望むことができます。改札を出て、浜辺に向かいます。そこに「敦盛塚」と呼ばれる石塔が建っていました。駅の裏がもう能『敦盛』の謡跡なのです。 すごい。こここそ一ノ谷の合戦場でした。 日本で2番目という大きな石塔で、建てられたのも室町時代後期から桃山時代にかけてといわれています。いかにも寂びた石塔で、この蔭から敦盛の霊が現われても不思議ではありません。 能『敦盛』のシテ(主人公)はむろん平敦盛です。そしてワキは、蓮生法師。 彼は元、源氏の武将、熊谷次郎直実です。ここ一ノ谷で、我が子と同じ年ごろの少年武将、平敦盛を心ならずも討ってしまった直実。彼は法然上人のもとで出家をして蓮生法師となりました。この地を訪れた能のワキ、蓮生法師は、次のように謡います。 我この一ノ谷に来てみれば その時のありさまの 今のやうに思はれて 輪廻の妄執に帰るぞや 蓮生法師は、この地に立てば自分が敦盛を討ったときのありさまが、今のことのようにありありと浮かび、悟ったはずの身なのに、輪廻の妄執に戻ってしまう、そう謡うのです。 能では、やがて現れた草刈が、実は平敦盛の亡霊だったとなります。 私もこの地に立って、海を眺めながら、この謡を低く謡いました。 残念ながら私の前に敦盛は出現しませんでした。 しかし、水上バイクに乗る青年が、沖に向かって疾駆して行き、突然止まったのです。オートバイは「鉄馬」と呼ばれ、馬にたとえられます。 「水上バイクに跨る青年は、まるで敦盛のようだな」と考えていると、突然、「あれ?」と思いました。