「これまで助けられっぱなしだった自分たちが、ようやく人に肩を貸せるようになった」――新生・純烈が温める思い
新体制での初ライブは2023年の元日
そしてその数時間後、純烈は新たな一歩を歩み出す。新年を迎えたNHKホール前の路上でメンバーは岩永を加えてバスで蒲田へと向かう。その後ろ姿を小田井が見送った。厚木もそうだが、紅白5年連続出場グループとなった今では、小さな温浴施設のステージに立つのは貴重だ。
2023年1月1日2時6分、岩永は純烈のメンバーとしての初ステージを踏む。数時間前まで当たり前のようにあった“青”(小田井のイメージカラー)はそこになく、目に鮮やかなオレンジ色が赤(白川)、緑(後上)、紫(酒井)と並んでいた。 「一応、何色がいいか聞かれたので『水色が好きです』と答えたんですけど、リーダーに『オレンジでいくからな』って言われました。じゃあ聞くなよ!ってなるじゃないですか、ハハハ。でも基本、僕はなんでもいいんですよ、ファンの人たちが喜んでくれれば。急な新メンバー発表や大阪の稽古もそうですけど、今思うとそれらの一つひとつが純烈のメンバーとしての通過儀礼だったんでしょうね。どっちに転んでも対応できるぐらいふわっとしていたほうがいいって学びました」
純烈は歌手、エンターテイナーであるよりもまず“肉体労働”――生半可な姿勢では続かない。小田井が卒業するのも、体力的な理由だった。早朝に集合し、長時間バンに乗って会場までいき、日帰りで戻ると翌朝には羽田空港か東京駅……このようなサイクルをほぼ365日繰り返す。
新メンバーに岩永が選ばれた理由
リードボーカルの白川は「声」、小田井は「年上」、芸能経験がないまま大学を中退させてメンバーに誘った後上は「自動車にはねられても死ななかった運」をそれぞれのフックとしてかき集めたという酒井。岩永の場合、それはなんだったのか。 「根本的なフックは……両親がともにいない境遇。母子家庭で育って四十前後で母親を亡くし、今は嫁さんと子どもを守っていく人間。だからこそ横道にそれずやれるんですよ。そういうやつの歌って、必ず響くと思った。 オレンジにしたのも、お父さんお母さんがいなくて俺らより“夕焼け”を見ているんじゃないかというイメージ。パフォーマンスはまだまだヘタウマなんだけど、その武骨さが伝わる。40歳を超えた妻子持ちの男が不格好だけど一生懸命に歌って踊る。黙っていればカッコいいのに歌ったり踊ったりするとダサい。これはキュンとくる人がいるだろうなと」