全日本新人王MVPは衝撃の125秒TKO勝利の奈良井翼…減量失敗棄権、引退に揺れてからの3年越し汚名返上リング
汚名返上をかけた出直しのリングだった。 2年前にはスーパーバンタム級で新人王に挑んだが、2019年9月に行われる予定だった準決勝の前日に脱水症状を訴え棄権した。12、13キロに及ぶ減量に失敗。残り2キロが落とせずにシャドーでふらつき、簡単なマススパーで倒れた。 「不摂生。友達に飯行くぞ、行くぞと誘われ、走ったら落ちるやろ、なんとかなるやろと甘く考えていた。全然落ちなかった」 ボクシング界では元WBC世界バンタム級王者の山中慎介氏を追い込んだルイス・ネリ(メキシコ)や元WBC世界フライ級王者の比嘉大吾(当時白井・具志堅、現Ambition)らの計量ミスが大問題になっていた。 「ボクシングをやめようと思った。無理やと。いろんな人に迷惑をかけた。何もしたくない、やりたくないと思った」 一度は引退を決意。3か月間、ボクシングから離れた。 だが、RK蒲田ジムの日本ユースライトフライ級王者の芝力人(25)から「オレのために練習に来てくれ」と声がかかった。芝が矢吹正道(緑)との日本ライトフライ級王座挑戦者決定戦に挑む前のスパーリングパートナーに指名されたのである。そこで奈良井は忘れかけていた感情を取り戻す。 「勉強もでけへん。オレが人に胸を張って“人よりすぐれたもの”と言えるのはボクシングだけ」 芝は奈良井をプロの世界へ導いてくれた恩人である。 小1からキックを始めた奈良井は、中学入学と同時に母の幸さん(40)から「ボクシングやらへんか」と勧められ大阪帝拳に入門した。咲洲高校時代にはボクシング部へ入り監督の北岡直樹氏が近大出身だったこともあって近大ボクシング部へ出稽古に行く機会が多かったという。当時、近大の主将だったのが芝だった。練習時間には、「フリーの30分間」というものがあったそうで、芝は、その自由時間を使い、高校生の奈良井に優しく教えを説いてくれた。奈良井は高校卒業と同時に自衛隊に陸曹候補生として入隊した。銃も手にしたが、東京五輪を目指していた奈良井は、「半年、頑張ればボクシングをやれるから」という自衛隊体育学校編入の約束があったから、その進路を選んだ。だが、半年を過ぎたとき「もう1年半かかる」と言われ、「もう待っていられない」と除隊を決意した。 母からは、手堅い国家公務員の職を辞することを反対されたが、「ボクシングは今しかできない。やらずに終わるのでは後悔する」と訴えると、逆に母から「あんたが本気ならええんちゃうの」と、背中を押された。 プロ転向の道を模索しているときに「一緒にやろう」と声をかけてくれたのが芝だった。 同ジムの世界挑戦経験もある柳光和博会長も近大出身。その人脈もつながり、プロの世界の門を叩くことになったのである。その芝が、またあきらめかけた奈良井をボクシングの世界へ引き戻してくれた。これも運命なのかもしれない。