2025年中国政界は「ポスト習近平」を巡って「李強vs丁薛祥」の後継者争い勃発!?
存在感が増す丁薛祥副首相
もともとエンジニアだった丁薛祥の人生の転機は、計3回あった。1回目は、20歳で上海市の材料研究所に就職したものの、技術者として生きる道を諦め、党務に回ったこと。2回目は、37歳の時に材料研究所を出て、上海市政府(市役所)に移ったことである。 そして3回目は、2007年の年初に上海市党委書記(市トップ)として浙江省からやって来た習近平に仕えたことだ。やはりこんな話が、上海で伝わっている。 「習近平党委書記は、(2007年)2月にやって来て、10月にはもう常務委員に抜擢されて北京へ行ってしまった。各所に就任の挨拶回りをしている間に、任期が終わってしまった感じだ。 当時の上海には、江沢民(元総書記)という絶対権力者がいて、幹部たちは皆、そちらを向いて仕事をしていた。特に習書記は北京人なので、肌合いの合わない幹部が多く、面従腹背のような状況だった。 そんな中、丁薛祥秘書長だけは、文句も言わず、残業もいとわず、日々黙々と習書記に仕えた。そうした姿を、習書記が高く評価した」 丁薛祥は、2013年3月に習近平政権が正式に発足するや、すぐに「中南海」(北京の最高幹部の職住地)に呼ばれた。2期目の習近平体制(2017年~2022年)では、習近平主席・総書記の公務にすべて付き添う党中央弁公庁主任(官房長官に相当)の重職を担った。 そして2022年10月、第20回共産党大会で、トップ7の常務委員(序列6位)に抜擢されたのだ。2023年3月には、筆頭副首相という政府の要職にも就いた。 それから2年近く経つが、丁薛祥副首相の存在感は増す一方だ。最近では、本来なら習近平主席が出席する重要会議などに、代理出席する場面も散見される。先月、北京で面会した舛添要一前東京都知事に伺うと、「丁副首相は自信を持って『改革開放』を強調していた」と話す。
1972年の日本の政界と似た光景
今年から、「李強vs丁薛祥」の後継レースがヒートアップしていくのではないか。 昨年末には、象徴的な光景があった。12月16日、李強首相が主催して、「国務院第11回専門主題学習会」を開いた。新華社通信の報道によると、中央党校の胡建淼(こ・けんびょう)教授が「行政執法の規範化レベルアップ」について講義し、何立峰(か・りっぽう)副首相、張国清(ちょう・こくせい)副首相、呉政隆(ご・せいりゅう)国務委員がコメントを述べたという。 ところが、丁薛祥筆頭副首相(常務委員)については、参加したことさえ記事に記されていないのだ。それより「下位」の3幹部が参加し、かつ発言したことまで記事にされているのだから、これは明らかに不自然である。 CCTVの映像で確認すると、丁副首相は確かに参加している。だが他の幹部たちが、中央に座った李強首相が発言している間、かいがいしくメモを取っているのに対し、丁薛祥副首相だけは、憮然とした表情で座っていた。ちなみに丁副首相は、習近平主席が重要講話を述べている時は、常に真剣な表情でメモを取っている。 習近平、李強、丁薛祥の3人の政治家を観察していて、ふとどこかで見た光景と思った。それは、1972年の日本の政界だ。 周知のように、1972年に佐藤栄作長期政権が終了した時、田中角栄通産相(経産相)と福田赳夫外相が、激しい後継争いをして、田中通産相が勝利した。習近平、李強、丁薛祥は、それぞれ佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫によく似たキャラクターなのだ。 そうなると、習主席の「後継者」は李強首相になる。だが中国の後継者選びは、自民党総裁選のような「ガチンコ選挙」ではない。習主席の「ご指名」がすべてだ。それだけに、「地味男」の丁薛祥副首相にも、十分チャンスはあると言える。
近藤 大介(『現代ビジネス』編集次長)