2025年中国政界は「ポスト習近平」を巡って「李強vs丁薛祥」の後継者争い勃発!?
李強首相の経歴
「両雄」を見比べた時、現在の地位や実力、経験からすれば、明らかに65歳の李強首相の方に分がある。新華社通信が発表している李強首相の略歴の主要部分は、以下の通りだ。 1959年7月 浙江(せっこう)省瑞安生まれ 1976年~1978年 浙江省瑞安県馬嶼区の機械式電気式排水灌漑所職工 1978年~1982年 浙江農業大学寧波分校農業機械系農業機械化専業で学習 1982年~1984年 浙江省瑞安県で中国共産主義青年団の職員、書記など 1984年~1996年 浙江省民政庁で副処長(副課長)、処長(課長)、副庁長など 1996年~1998年 浙江省金華市党委常務委員、永康市党委書記など 1998年~2002年 浙江省弁公庁副主任、工商行政管理局長など 2002年~2004年 浙江省温州市党委書記 2004年~2011年 浙江省党委秘書長 2011年~2016年 浙江省党委副書記、省長など 2016年~2017年 江蘇省党委書記 2017年~2022年 上海市党委書記、党中央政治局委員 2022年~現在 党中央政治局常務委員 2023年~現在 首相 いわば「土着の浙江人」である李強首相の人生の最大の転機は、43歳の2002年、福建省から習近平が浙江省に転じてきたことだった。習近平浙江省党委書記は、日本で言うところの「体育会系性格」の李強を気に入り、2004年に自分の秘書長に据えた。当時の両者を知る浙江省の人物は、15年ほど前に私にこう語った。 「李強はエリートでなく、命令に従順で、眼鼻が利き、体力があって、進んで汗をかき、文句を言わず、目立とうとせず、褒美を求めない。そんな姿は、習近平党委書記にとって理想の部下に映ったのだ。2004年から2007年年初までの間、二人は何をするにもどこへ行くにも二人三脚で、まるで兄弟のようだった」 李強は2023年3月、それまで10年間務めた李克強首相の跡を継いで、上海市党委書記から首相になった。中央政府の副首相を経ずに首相になったのは、初のケースだった。この時の経緯については、こんな話が漏れ伝わっている。 「李強上海市党委書記は2022年4月と5月の2ヵ月間、習近平主席の命令で、最大の経済都市である上海をロックダウンさせられた。それで2500万上海市民を苦しめ、計り知れない経済的打撃を与えたことで責任を感じ、同年10月の第20回共産党大会で引退を申し出た。 ところが習近平総書記は、引退どころか首相就任を要請した。結局、『経済分野は任せる』という条件で、首相就任を受け入れた。他の幹部は皆、必死に習総書記に阿諛追従(あゆついしょう)してポストを分けてもらったが、李首相だけは違った」 実際、2023年3月13日、1時間23分に及んだ李強首相の就任記者会見をCCTVのインターネットTVで生放送で見ていて、上記の話は事実なのではと思った。「李克強前首相と李強新首相は、名前が一字違いだが、言っていることもほとんど変わらない」と感じたからだ。「習近平総書記を核心とする党中央の指導の下に……」という他の幹部たちが多用する「枕詞」(まくらことば)を極力省いて、国民目線で語っていたのだ。 李克強首相は習近平総書記の「最大のライバル」と言われながら、10年間首相を務めた。そして引退して半年後の2023年10月に、上海市内のホテルのプールで水泳中に、心臓麻痺を起こして急死した。だがその「精神」は、李強首相が引き継いでいるのである。