外国から攻められた「刀伊の入寇」。歴史の潮目の変化に立ち合った「藤原隆家」は天の配剤だったのか?【光る君へ 満喫リポート】
ライターI(以下I):『光る君へ』第46回のトピックスは「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」という大事件が描かれたことではないでしょうか。 写真はこちらから→外国から攻められた「刀伊の入寇」。歴史の潮目の変化に立ち合った「藤原隆家」は天の配剤だったのか?【光る君へ 満喫リポート】 編集者A(以下A):日本が外国との戦争に巻き込まれたのは663年の白村江の戦いというのがありましたが、これは戦場が朝鮮半島でした。刀伊の入寇は、外国勢力が日本に攻めてきたということで驚天動地の出来事でした。 I:『光る君へ』の最終盤でこんな荒々しい展開になるとは思いませんでした。 A:その場所にまひろ(演・吉高由里子)が居合わせるというのがポイントです。物語の主人公をこの九州の地に移動させることで、この事件の重要性を明白にする。これは凄い。 I:時代の潮目に主人公が立ち合う。確かにこの事件が凄いということがわかります。劇中では壱岐の常覚(演・タイソン大屋)という僧が登場しました。外国からの脅威にさらされるときに、対馬と壱岐が真っ先に標的されてきました。 A:実際の来襲はありませんでしたが、唐の脅威が叫ばれた際には、対馬に金田城が築かれました。古代7世紀にこれだけの石垣を築ける技術力があったということで、刮目すべき場所です。その城跡からは『魏志倭人伝』に記された〈土地は山が険しく、深い森が多い〉という記述そのままの風景が眼下に広がります。『魏志倭人伝』を書いた人物、あるいは情報をもたらした人物は確実に対馬に足を運んだ人物であることが印象づけられます。金田城には、国防のために東国から派遣された防人たちが暮らした跡もありますし、金田城に登る道は日露戦争の際に整備された軍用道路なのです。そして忘れてはいけないのは、鎌倉時代の元寇の際には実際に多くの住民が犠牲になったことです。 I:さて、今回は元寇からさかのぼること255年ほど前の平安時代です。藤原隆家(演・竜星涼)が大宰権帥に任ぜられていたのは天の采配でしょうか。歴史に「if」はタブーともいわれていますが、もし藤原行成(演・渡辺大知)のような根っからの貴族が大宰権帥だったらどうだったでしょう。 A:まさに、藤原隆家の任期の最終年に起こったのが刀伊の入寇です。本当に天の配剤だったのかもしれないですね。さて、この時の戦いでは、警固所という場所が登場するのですが、これは当時博多に存在した外交使節館の鴻臚館(こうろかん)に設けられていたようです。 I:鴻臚館は知っています。外交使節が逗留する迎賓館のような建物だったそうですね。鴻臚館の場所ははっきりわかっていまして、かつて西鉄ライオンズなどの本拠地だった平和台球場が取り壊された際に鴻臚館の遺構が発見されています。今は展示館があり、往時を忍ばせてくれるそうです。 A:いや、繰り返しになりますが、物語の最終盤でこうした合戦が登場するのは、歴史の転機、潮目の変化を考える上で特筆すべきことですね。平将門が主人公だった『風と雲と虹と』(1976年)では平将門が関白藤原忠平に仕えるという場面が登場していました。忠平は道長(演・柄本佑)の曾祖父になります。 I:将門はやがて東国で乱を起こして討伐されるのですが、刀伊の入寇はほぼそれ以来の大きな合戦ではないでしょうか。 A:そうなんです。劇中でも登場しましたが、多くの民が拉致されました。拉致された民のほとんどが海に投げ入れられたりしたそうです。そうした合戦にまひろの家に出入りしていた双寿丸(演・伊藤健太郎)が関わっているというのも象徴的です。 I:双寿丸はまひろの娘賢子(演・南沙良)と仲がよかった。一世代変わっただけで、世の中は大きく変化しようとしています。 A:これが孫の代、さらにはひ孫の代になると常識だったことが常識ではなくなり、まったく違う世になってくる。 I:そんなことがしみじみと感じられる回になりました。