「ものすごい誹謗中傷だった」リポーター・阿部祐二、台風やらせ疑惑の裏側と天職の原点
生死をさまよう事故に 東日本大震災の十数時間前だった
'11年3月11日深夜。東日本大震災の十数時間前に、阿部は交通事故に遭う。タクシーで帰宅中、側面から乗用車が衝突したのだ。意識不明で集中治療室に運ばれ頭を十数針縫う大手術に。「事故のことはまったく覚えていない」と言う阿部に代わって、まさ子さんに聞いてみると、 「その日は那須の牧場に取材に行っていて。夜中1時くらいに『帰るよ』と電話が来たんです。しばらくすると、今度は家の電話が鳴って事故に遭ったと。うちのすぐ近くだったから、娘と大慌てで駆けつけたら血の海で。 救急車に乗るために貴重品を持っていってくださいって言われて荷物を見たら、チーズケーキがあったんです。那須の牧場で買っていたの。私、涙が出ちゃって……」(まさ子さん) 明け方、手術が終わり病室に移る。だが、首が痛いと繰り返す阿部を心配し、まさ子さんはCTを撮ってくれないか、と病院に頼む。X線検査では何もなかったが、こんなに痛がるのはおかしい、と。結果は第2頸椎骨折。そして午後2時46分、東日本大震災が発生する。 「朦朧とはしていたけど、ベッドを3人くらいで押さえつけていて、振り落とされそうなくらい揺れたのを覚えてます」 と阿部。まさ子さんは、「すごく揺れて、それでも主人はむくっと起き上がって『行かなきゃいけない』って言うんですよ」と振り返る。 「だから、神様がもう行くなって言ったんじゃないかなって。事故の前はチリに取材に行ったりして、疲れがたまっていたみたいなんです。朝のジョギングから帰ってくると、動悸がすると言っていたし。少し休みなさいって、神様が行かせないようにしたんじゃないかと思うんですよね」(まさ子さん) 入院中は毎日、夕ごはんを作って持っていき、家族3人で食べていたという。それまでの阿部家ではほとんど持てなかった時間だ。 この事故で人生観が変わったという阿部。震災の取材ができない焦りよりも、生かされたという気持ちが大きく、復帰できるだけで御の字という心境になった。 「“自分が一番だ”という感覚がなくなって、仕事に対するありがたみを実感するようになったんです。仕事をいただけた、ありがたい、一生懸命やろう、という感謝の気持ち。以前の俺からは考えられないけど(笑)」 入院は44日。全治6か月以上だったが、6月上旬には『スッキリ』に復帰した。しゃべるとき以外はコルセットをつけるということで医師の許可が出たのだ。 「現場に行かないといけないという駆り立てられるものがあって。家内には『何を考えてるの。黙って入院してればいいのに』って言われたけどね(笑)」