「ものすごい誹謗中傷だった」リポーター・阿部祐二、台風やらせ疑惑の裏側と天職の原点
毎朝、新聞5紙を読む
毎朝、新聞5紙を読み、『ジャパンタイムズ』を持ち歩く。扱う事件の情報は事前にすべて頭の中にインプットしていた。しかも、これは「除外するために」というから独特だ。 「ほかの媒体がすでにやったことは、僕にとっては除外の対象。『それ、もうやってたよ』と僕が言うとディレクターは嫌がったけどね(笑)」 '01年の9・11アメリカ同時多発テロ事件ではニューヨークに3週間滞在して、取材を敢行。通訳なしで現地の人々にインタビューし、英語に対する自信を深めた。 90分の番組中、最初から最後まですべてのリポートが阿部になったこともある。 「スケジュールを聞かれて、全部空いていると答えただけなんだけどね。ほかのリポーターには『なんで阿部さんだけ』って、すっごい言われた(笑)」 '06年からは『スッキリ』がスタート。司会の加藤浩次に呼びかける「加藤さん、事件です!」のセリフも話題を呼び、阿部は一気に全国区になる。さらに多忙になり、ほとんど家にいられない日々。まさ子さんは「娘には小さいころから『予定は未定よ』と言っていました」と語る。 「家族で旅行に行っても、大きな事件が起きたら主人ひとりで帰るんです。それでも娘と私は『行ってらっしゃい』と気持ちよく送り出していました。時間がある限りは一緒にいたいという彼の気持ちがこちらにも伝わっていたから『頑張らなきゃね』って。ただ、夜中に電話がきてタクシーで遠方に行くときなどは、かわいそうだなと思ったりもしましたね」(まさ子さん) 子育てで困ったことはないというまさ子さんだが、唯一の難点は阿部が娘を叱れないことだという。 「娘に嫌われるのがイヤだから。3人で座っているのに『それはダメだよね』と私に言ってきて、それを私が娘に伝える、なんてこともありましたね(笑)」(まさ子さん)
代名詞となった“台風やらせ”リポート疑惑
数々の取材で“事件リポートといえば阿部”と言われるまでになった『スッキリ』時代。だがその分、やっかみや危険な目に遭うこともあった。 ある事件では、主要関係者の独占取材に成功し、連日スクープを叩き出すが、同業者たちから「阿部が止めてるんじゃないか」と疑われたこともある。実際は、ほかの取材も受けなきゃいけないかと相談され、「それはそちらの自由ですよ」と答えただけにもかかわらず。少年犯罪の関係者を運河で取材する際は、「突き落とされるかもしれないから守ります」と、ディレクターが後ろについたこともあった。 中でも大きな騒動となったのが'05年、鹿児島での台風リポート。大風を受け座り込んでリポートしていた阿部が、終わると立ち上がって歩き去ったので、「やらせだ」と大炎上してしまったのだ。実際の状況はどうだったのだろう? 「あれは鹿児島読売テレビの敷地内からの中継で。準備でディレクターが外に出たら飛ばされそうになるくらい、すごい風だった。だから中継では飛ばされないよう、クラウチングスタイルをとったんです。それで中継している間に左に寄っていったみたいで、庇の下に来ていて。終わるとパタッと風が弱くなったので立って歩いたら、“屈んでいたのはやらせだったのか”と、ものすごい誹謗中傷だった」 世論は阿部を猛攻撃。阿部の所属事務所、テンダープロの代表・井内徳次さんも「あのときは事務所のホームページに、ものすごい量の書き込みが来ました」と振り返る。なんと大手新聞の社説に、やらせ問題として実名入りで載るほどの事態となった。風は弱くなることもある。しかも庇の下に来ていた。だが説明したくても、何も言わないようにと局から止められる。 「数年後にそのときのスタッフに会ったら、『私たちがちゃんと説明していれば、阿部さんがあそこまで言われることはなかった』と涙目で言われてね。『いや、いいんだ。僕はただの石。何を言われても言い返せないから』と答えたんだけど。家族にも迷惑をかけて、かわいそうだったな」 だが、まさ子さんは「迷惑をかけられたということはまったくないですよ」と言う。 「私の周りはみんな味方で応援してくれましたから。主人を悪く言う人はひとりもいなかった。 それにリポーターは芸能界の一部だから、誹謗中傷がついて回ることは娘も私も理解していました。それより、主人が“実際はこうだった”と説明したくてもできずに、我慢している姿を見るのがつらかったです。何とかしてあげたいなと思っても、聞いてあげることしかできなくて」(まさ子さん)