岐阜城が「天空の城」に? 織田信長の時代に近づける構想
立木を伐採して天空の城を出現させ、築65年の天守を残す
今回の整備の大きなポイントは、立木を大胆に伐採して城域全体を目視できるようにすること。整備を「信長の時代の再現」に絞って行うことで、石垣などが露出した、いわゆる戦国時代の城の姿を見て確かめられるようになるわけだ。山頂部は城マニアにはたまらない、いわゆる「天空の城」となり、麓の庭園も信長によって加工された岸壁や巨岩、石垣、滝や池を見ることができる。立木の伐採は城跡の整備手法としては最近の傾向でもあり、いわゆる山城ブームもこうした整備が全国各地で行われていることが背景にある。 「本物志向の観光まちづくりが基本的な考え。焦ってすべてをいきなりこのイラストのような姿にするということではなく、山麓はほぼ調査が終わっているので、まず最初に手をつけ、その間に山頂部の調査を順次進めていく。しかし、その山麓に形のわからない建物を新たに造るのは無理。庭園を中心にきちんと調査して、それを顕在化し、市民の皆さんに見ていただく。そうしたことを順次積み重ねていきたい」と柴橋市長。 金華山は国の史跡に指定されており、整備には文化庁の許可が必要となる。「文化庁はもともと保存と活用が重要だと言っているので、我々もそれに基づいてやっていく。調査はしっかりしており、保存と活用というベース部分を外すことはない。(文化庁との)下打ち合わせは済んでおり、正式に提出して認めてもらえばこの事業は始まる」と柴橋市長は自信を見せた。 さてそうなると、課題として出てくるのが、信長の時代のものではなく築65年で耐震強度にも問題がある山頂のコンクリート製復興天守をどうするか、という点だ。岐阜城より3年新しい名古屋城コンクリート天守は図面が残っていることを根拠に、取り壊して木造再建することが打ち出されたが、計画は事実上頓挫している。対して岐阜城天守は、歴史的には正しくない姿(信長時代の天守の形態には諸説あり、現在の復興天守は当時の正確な姿とは言えない)ではあるが65年もの間市民に親しまれ、これ自体がすでに歴史的建造物としての価値があるとして、耐震化して残されることになった。それは文化庁の考え方に沿ったものでもあるが、岐阜市民はどう考えるだろうか。 今の岐阜城は樹木に覆われて、麓からはロープウエーと復興天守ぐらいしか見えない。計画のように整備が実現すれば、石垣や岩肌と復興天守が調和した美しい姿を、当時のように市街地からも眺められるようになる。それは斎藤道三や織田信長の時代の景観に近い。長良川の鵜飼などで知られる岐阜市の観光に大きく寄与することは間違いないだろう。 (水野誠志朗/nameken)