モデルでは一番になれないと気づいた…だるま職人になった元パリピが「アマビエだるま」で起こした大逆転
■過呼吸、円形脱毛症、うつ だるまに打ち込むだけの生活は、じわじわと千尋さんの心身を蝕(むしば)んでいった。 2015年ごろ、身体には蕁麻疹(じんましん)が浮き上がり、急に心拍数が上昇して息ができなくなる過呼吸の症状も現れた。いつの間にか後頭部に「10円ハゲ」が二つできていた。 「さすがにマズイなと思ったが、目標を達成するためには、誰よりもだるまと向き合わなければならない。病院には行かず、誰にも症状を告げなかった。 しかし、症状は重くなる一方だった。 視界に黒い雪がちらつき、友人に相談すると「休んだ方がいいよ」と言われて、体が限界を迎えていることを自覚した。職場に行けなくなり、家でぼんやりと過ごすようになった。 それから2カ月ほど経ったある日、心配した純一さんから声がかかる。 「台湾から3人の女の子のホームステイを受け入れる。英語で通訳しながら日本を案内してまわってくれ」 ■自信を取り戻すきっかけ 純一さんの言う「女の子たち」とは数年前に家族旅行で大門屋を訪れたことのある中学生くらいの姉妹だ。大門屋で買い物をした時に、高崎駅まで純一さんが車で送迎し、それ以来、台湾に住む家族たちと交流を重ねてきた。ただし、千尋さんとの面識はない。 純一さんは千尋さんの状態を見て「何かしらの気晴らしをさせる必要がある」と考えて、案内を依頼したのだった。 この気遣いは、遊びが好きな千尋さんにピタリとハマる。富士急ハイランドなどに行き、英語でやり取りをしながら、一緒に観光地も回った。 「2カ月くらいだったんですけど、外に出てるとだんだん元気になったんですよね。英語もめちゃくちゃ上達しました。文法はあまりわからないけど、音を覚えて再現するのは得意なんです。日常会話くらいは問題なくできるようになりました」 エネルギーを充塡(じゅうてん)し、自信を取り戻した千尋さんは2015年の終わりごろに大門屋に戻る。ここから徐々に上昇気流に乗り始める。 ■台湾での成功体験 2017年の夏、純一さんから初めての仕事を命じられた。それは台湾のお寺でのだるま販売会だ。純一さんは2013年ごろから高崎だるまの販路を海外に広げようと、台湾での絵付け体験や販売会を開いてきた。この仕事を千尋さんが任されることになった。 場所は台湾東部にある慶修院という寺院。「予約していた新幹線のチケットがなぜか取れていないというトラブルがあったり、30℃を超えた屋外のイベントでめちゃくちゃ暑かったり、サバイバルって感じでした」と振り返る。 「1日に200人くらいは来たんじゃないかな。売り上げは父の3倍以上でした。現地での取材もお寺さんがメディアにかけ合ってくれたようで10社受けましたよ。父の元を離れてのびのびと仕事ができて、売り上げも立つ。どんどん海外に行きたいと思いました」