伝説の古着屋・Hanjiro(ハンジロー)の軌跡:元商品企画部マネージャー高山亨さんが語るその裏側
「内装の手伝いで声をかけられて、僕はフィッティングルームの内装なんかを担当しました。 工事が必要な部分は業者さんに入ってもらいますが、ほとんどの内装をハンジローのスタッフで手掛けました。今思うと、本当にいい経験をさせてもらえたと思います」 ハンジローと言えば、内装についての記憶がある人も多い。 原宿店にはリスがいて、京都店には金魚がいた。まるで映画の主人公になったかのような気分になれる内装。各店舗で雰囲気が変わるところも、思春期の私たちをドラマティックな気分にさせてくれた。
「ハンジローは、まさに社長の中村和豊さんのセンスありきのお店でしたね。中村さんは、映画や音楽、ファッションや食など色いろなカルチャーに興味がある方で、培ってきた感性を具現化する能力が本当に凄かったです。あの独自のセンスは誰にも真似ができないと思います」 当時、筆者はハンジローで会計をするとき、いつも名残惜しい気持ちが心にあった。 まだ店内のどこかに自分が出会えていないアイテムが隠れているのではないか…そんな気持ちだ。ハンジローは店舗が広く、全ての商品を吟味するのはなかなか難しい。
それもハンジローの魅力と言えばそれまでだが、商品のアイテム数はあまりにも多く、まさに毎回が一期一会の出会いだった。当時、買い付けや商品アイテム数はどのようなサイクルで展開していたのだろうか。 「アイテム数というよりは、約30トンの量を月に海外で買い付けをして、商品はいつも入荷している状態でした。商品は店舗ごとに毎週数千点は入荷して、売れない商品は他の店舗に回していました」
2005年頃からは本格的にオリジナルブランドを展開し、高山さんはその企画部に所属していた。オリジナルブランドでも、ハンジローならではのこだわりがあったという。 「特に中村社長が担当していたブランドは、ヴィンテージの風合いや一方でヴィンテージにはないデザインに凄くこだわっていましたね。カタログもプロモデルを起用するのではなく、スタッフが担当していました」