「つらければ逃げればいい」――爆笑問題・太田光にとって生きることは居心地のいい場所を探し続けること #今つらいあなたへ
「死というものを間近に感じた」
太田は当時をこう振り返る。 「どんどん無気力になっていたし、死という概念も間近に感じた。このままいくとやばいなっていう意識もあった。感動がなくなっちゃうという焦りもあったよね」 それまで太宰に感動したことでさえ、「そういう自分が好きなんじゃないか」と疑うようになっていた。感動という感情さえうそっぽいと感じるようになり、素直に感動できなくなっていたという。 その日のピカソ展の会場は混んでいた。多くの有名な絵が並び、太田はその中の一枚に目がとまった。自分が見たものを感じたままに描くキュービスムを飛躍させるきっかけとなった『泣く女』だった。 「ガツーン!という衝撃を受けたわけでもないんですよね。ただジーッと絵の前に立ってこうやって見てたの。これすごいなって何となく思えてきてね。何がすごいんだか分かんないけど、とにかく迫力があった」 ハンカチをくわえ、涙を流しているように見える女性。写実的な絵とは明らかに一線を画す、ピカソの心象風景。見た人を一瞬ポカンとさせるほど「むちゃくちゃな表現」が世界的に評価されていることに太田の心は大きく動いた。 「こんなもので評価されるんだという気持ちもどこかにあったね。俺がいつもウジウジ考えてることと、目の前にある絵は、差がないと思ったんです。いわゆる表現っていうのは、ほんとに何でも自由でいいんだなって。ピカソにはほど遠いけど、表現しちゃえばいいじゃんって」 ラッキーだったのは、ピカソみたいな大天才の絵を見てそれを感じたことだと振り返る。目の前の絵は太田に勇気を与えてくれた。ピカソもチャップリンも黒澤明も、偉大な作品というのは俺もできるんじゃないかと思わせてくれる。そういうものがきっといい作品なのだろうと太田は言う。 「俺はその時に自分のことを好きになれたんです。それは感動できたから。ピカソの絵を見て、確かに受け取れたって思ったの。まんざら捨てたもんじゃないな、俺の感覚もって。そうすると自分が好きになるんです」