「つらければ逃げればいい」――爆笑問題・太田光にとって生きることは居心地のいい場所を探し続けること #今つらいあなたへ
一言もしゃべらない高校生活
友達をつくるきっかけをずっと探していた太田は、1年の夏に行われた泊まりがけの学校行事に期待した。 「水泳合宿は泊まりがけで、さらに団体行動だったからね。でも、ダメだった。海に行って泳ぎの練習をして、部屋に帰ってくると、みんなが車座になってワイワイやってる。自分は部屋の隅で一人で本を読むしかなかった」 太宰治や島崎藤村など、葛藤や蹉跌を描いた作品を好んだ。友人との会話に夢中になる同級生を尻目に、必死に文字に集中した。 「『人間失格』で太宰は学校でわざと失敗して道化を演じるんだけど、一方でそういう自分が嫌らしくて許せないと思い詰めたりする。要は自分を作品に投影していたんです」 自意識過剰だったからこそ、太宰のそういう繊細さに共感したのかもしれないと振り返る。 「いま思えばさ、格好つけずに『ごめん、友達になってほしいんだ』って素直に言えばよかったよね。でもそれが言えなかった」 学校に行っても一言もしゃべらない日々。所属した演劇部の部員は太田一人で、活動らしい活動もせず、そのまま電車に乗って自宅に帰る。家に帰って初めて口を開くという生活の繰り返し。太田の両親は息子が学校で孤独を感じていたことを知っていたのだろうか。 「特にそんな話もしなかったけど、何となく感じてたんじゃないかな。中学の時はいろいろ友達の話をしてたのに、一切そういうのがなくなったからね」
高校生活は「何となく諦めちゃった」
気がつけば1年が経っていた。次第に、あと2年間我慢すればいいと思うようになっていた。 「何となく諦めちゃったんです。高校3年間が終わればまた変わるだろう。次のクールで挽回しようと」 太田は高校生活に早々に見切りをつけた。ここではダメだったが、次でチャンスがあると思った。そう切り替えたはいいが、どうやって残りの時間を過ごしたのか。 「とにかく、本を読んでましたね」 クラスメートたちが友達と楽しい時間を過ごすあいだ、ひたすら読書に没頭した。 「若さゆえの自我? そうでしょうね。この経験は自分にとっていつかプラスになるだろうって思わずにはいられないんですよ」 インプットを増やすべく、休みの日は、映画や芝居、展覧会に足を運んだ。学校生活では得られないものを自分の中に蓄積しようと必死だった。そのなかで太田は絵画に強い興味を持った。 「父親がもともと漫画家を目指していたような人で、自宅の本棚に画集が並んでてね。その中から自分の好みのものを眺めていました」 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックが描いた「ムーラン・ルージュの踊り子」、エドガー・ドガの「バレリーナ」。 「好きな絵は言葉で説明できないんです。例えば海に沈む夕日を見て、『ああ、きれいだな』と感じるのと同じで、作者が誰でどんな背景があって、とかそんなことは気にしないでしょう」 絵画の魅力に心奪われていた太田は、高校3年の春、ピカソ展に足を運ぶ機会を得た。絵画の歴史を変えたと言われる天才の巡回展示が日本にやってくるのは数年ぶりのことだった。 「テレビのCMでそれを知りました。『アルルカン』は好きだったけど、来るなら見てみようかなっていうくらいの感じだったね。たしか竹橋にある美術館でした」