エッグベネディクトは米ヒルトン発祥、ではナポリタンは? 「元祖」の3ホテル探訪
■渋沢翁が目指した日本の「迎賓館」 帝国ホテル
帝国ホテルの開業は1890年。大日本帝国憲法が施行され、第1回帝国議会が召集された年だ。近代日本の幕開けに際し日本の「迎賓館」としての役割を担うべく、財界人の働きかけで生まれた。設立発起人総代の一人であり初代会長は、新一万円札の顔である渋沢栄一だ。 以来、国内外からの多様なゲストを迎え、日本初やホテル業界初というサービスやメニューなどを導入してきた。例えば、1911年に日本で初めて導入したランドリーサービスは、当時、長い船旅でやってくる海外の宿泊客が必要とする着替えのニーズに応えるためのもの。今も外注ではなく、社内にランドリー部門を置く希少なホテルである。 宴会などで汚れた服にすぐシミ抜き、外れたボタンには200種以上の予備と、ホテル内部門だからこそできるサービスへの評価は高い。国賓を迎えた時には民族衣装など特殊な衣服のランドリーにも対応、ホテル正面玄関のポールに掲げる国旗のアイロンがけもする。
■バイキング発祥、「五輪参画」で冷凍食品研究も
また「好きなものを好きなだけ味わう」食のスタイル「バイキング」は、帝国ホテルのレストランが発祥だ。帝国ホテル第11代料理長/初代総料理長である村上信夫は、1964年の東京五輪に選手村の料理長の一人として参画。5000人を超える選手への食事提供に当たり、食材確保のために日本冷蔵(現ニチレイ)と共同研究をした冷凍食材を用いた。 東京五輪の食事は好評を博し、冷凍食品がホテルなど外食産業でも注目されるきっかけとなった。家庭でホテルのようなおもてなしができる冷凍食品は、本館1階ロビーにあるホテルショップ「ガルガンチュワ」でも人気だ。 同店では、渋沢翁をオマージュしてフランス語で金融家を意味する「フィナンシェ」も発売している。ココアパウダーを練り込んだフィナンシェにチョコレートと金箔をあしらった美しいスイーツだ。 渋沢翁は、初代会長を辞した後も帝国ホテルを訪れた際「世界中から集まり、世界の隅々に帰っていく人たちに、日本を忘れずに帰らせ、日本のことを一生懐かしく思い出させることができる。国家のためにも非常に大切な仕事である」などとスタッフに声をかけたという。そんな日本の迎賓館を目指す気概が今も息づくホテルである。 文:小野アムスデン道子(ライター)
小野アムスデン道子
旅行ガイドブック『ロンリープラネット日本語版』(メディアファクトリー)の編集を経てフリーに。東京と米ポートランドのデュアルライフを送りながら、国内外の旅の楽しみ方を中心に、食・文化・アートなどについて執筆、編集、プロデュース。日本旅行作家協会会員。 ※この記事は「THE NIKKEI MAGAZINE」の記事を再構成して配信しています。