K-1チャンピオンがプロボクサーに転身。わずか9戦で王者になった武居由樹の生き方とは
勝った相手との再戦、もうここじゃないと思った
K-1からの転向にはもちろん理由がある。武居はこう語ってくれた。 「チャンピオンになってから、モチベーションが低下してしまって。当時のK―1はそこまで選手層が厚くなかったんです。一回倒して勝った相手と、すぐにタイトルマッチをしてくれと言われたときに、もうここじゃないなと思ったんですよね」 ちょうどその時期、井上とフィリピンのノニト・ドネアのタイトルマッチがあった。ドネアは世界5階級制覇王者で、この試合後に井上も「めちゃめちゃ強かった」と語ったほどの選手。井上が判定で勝利した。 「見て一瞬でボクシングってスゴいなと思って。あのときの会場の雰囲気とか、空気感がすごくかっこよかった。前のジムの会長(キックボクシングジム〈パワー・オブ・ドリーム〉の古川誠一さん)が〝ボクシングに行ってこい〟って言ってくれた。それで、やろうと思ったんです」 そして古川さんと繫がりがあった大橋ボクシングジムに入団。会長の大橋秀行さんは元WBC・WBA世界ミニマム級王者だ。ここで八重樫コーチと出会う。ただ、転向してすぐは武居を批判する声もあった。それは純粋にボクシングだけをやってきた正統派ではなかったから。武居のパンチを出すタイミングやステップワークなどが独特だったのだ。 「もっとちゃんとしたボクシングをやったほうがいいと言う人もいました。ただ、スパーリングをした選手から、僕とは〝やりにくい〟と聞いてましたし、リズムが自分の武器ですから。それを崩さずにやらせてくれた八重樫さんのおかげなんです」 デビュー後、武居はハードパンチでKOの山を築く。8試合連続KO。そして9戦目が世界チャンピオンとのタイトルマッチとなった。
カラダはしんどかったが、頭の中はすごく冷静だった
「綺麗なボクシングができない」と言って武居は笑うが、このスタイルがチャンピオンを翻弄した。序盤、鋭い左のボディが何度も決まり、優位な戦いを繰り広げていく。 「作戦通りといえばそうですけど、本当は早いラウンドで倒すというのが理想だった。ラウンドが経つに従って、相手が優位に立つ展開になると思っていましたから。ただ、やっぱり世界チャンピオンだからテクニックがすごいし、強いパンチを簡単には当てさせてくれませんでした」 中盤は武居が言った通り、一進一退の好試合となる。だが最終の12ラウンド。相手の猛攻に、傍らで見ていてヒヤリとする瞬間があったのも確かだ。しかし武居は慌てなかった。 「カラダはしんどかったけど、すごい冷静だったんです。相手のパンチも要所はちゃんと見えていたと思いますし、返しもできていました」 フルに戦い3-0の判定で勝利。新チャンピオンになった瞬間、武居は八重樫さんに抱きついた。 「その場面を見返すと恥ずかしいんですけど(笑)。あのときの観客の声がワーッとなって、すごいなぁって思っていました。チャンピオンになったと実感したのは、周りの人におめでとうと声をかけてもらってからですね。少しずつよかったという気持ちになっていきました」 これからはチャンピオンとして追われる立場。相手も武居のボクシングを研究してくるだろう。この先の自分をどう考えているのか。 「自分のボクシングはまだまだ未完成なので、満足している場合じゃないと思っています。先を見ないといけない。まだできないことも多いので、それを減らしていかないと。この先はもう本当に強い選手しかいないので、今のままじゃすぐやられてしまう。でも実は僕、他の選手のことはほとんど知らないんです(笑)」
取材・文/鈴木一朗(初出『Tarzan』No.882・2024年6月20日発売)