「湯船という小船で、人生の大海原へ」──風呂場から考える“おうち性教育”、山田ルイ53世の反省 #性のギモン
「もう少し一緒に入ってやっても……」より大事なこと
いよいよ娘が親抜きで風呂に入るという日。(ちょっと冷めてない?)と釈然としなかったのは、湯加減ではなく、妻の態度である。 (足を滑らせぬか……) (溺れたらどうしよう……) と心配するあまり、天井裏で殿様の下知を待つくノ一さながら脱衣スペースで控えていた筆者。一方、妻はといえば、「○○ちゃん(長女)も『一人で入ってみたい!』って言ってたし!」と落ちつき払っていた。 この夫婦の温度差が、ずっと引っ掛かっていたんですと先生にぶつけると、「『一人で入る?』って、子どもの気持ちを聞くのは大事。自分で体を洗うことは、自分の体が自分のものだという認識を持つことなので。ママは幼児の頃から意識づけをしてきたのかもしれませんね」 と軍配はあっさり妻に上がる。 悔し紛れに口走った、「でも、もう少し一緒に風呂に入ってやってもよかったかなって」という往生際の悪い筆者の一言も、「これは“体の権利”に関わること。胸や股、お尻といったプライベートパーツは、基本的に、見るのも触るのも自分だけ。例えばお薬を塗るとき、家族とか先生が触るにしても、必ず子どもに理由を説明することが大切です」。 「子どもへの性暴力は、見知らぬ人より、身近な人から受ける場合が多いといわれています。それは家庭内も含めて。何か変だなって感じたら『嫌だ』と言っていいし、自分以外の人のプライベートパーツを勝手に触ったりじろじろ見たりすることがいけないんだよって、子どもに伝えるのも大事です」と圧倒的な文字数で手厚く埋葬していただいた。 ただ一つ、成仏し損ねたのは、性教育についてのモヤモヤ。 妻に2人の娘と筆者以外は女性ばかりの環境で、(男親が性のことをあれこれ言うのは……)との戸惑いや遠慮を拭い切れずにいたのである。
「……ってことは、俺も性教育を?」
まあ、コチラの心中など、「恥ずかしい、いけないことだっていう固定観念があるかもしれませんが、性教育は全ての人が健康に、幸せになるためのものなんです」と先生はお見通し。 「確かに、自分の体のことを誰にどこまで話すかといった境界線は自分が決めることなので、生理の話も『ママには知ってほしいけど、パパとか男兄弟には知られたくない!』とかいろいろある。でも、国際的には、必ず性別を分けて性教育をしなさいという指針はありません」と不安を和らげるように教えてくれた。 それでもなお、(……ってことは、俺も性教育を?)とへっぴり腰の筆者に、「困ったとき、何に立ち返るといいかっていうと!」と通販番組顔負けのテンポ感で先生が紹介してくれたのは、“国際セクシュアリティ教育ガイダンス”である。 なんとこちらの商品……もとい、手引き書は、性教育のグローバルスタンダードとして定評があるそうな。 「『男女の体の違い』とか『月経』『射精』だけでなく性の多様性やジェンダー平等などを含め、その根底にあるのは『人権』。体や気持ちは自分のもので、多様な考えに触れながら自分で選んでいく。そんな “性的自己決定力”を育むのが国際的に推奨される『包括的性教育』の目標なんです」 とその理念を説かれ、(ああ……入り口は“人権”か!)と詰まった鼻が通ったような晴れやかな気分を味わった筆者。もはやアダムとイブ以前の話……男とか女ではないのだ。 「子どもが保育園で、お母さん座りとお父さん座りっていうのを習ってきたと思ったら、お母さんが正座で、お父さんがあぐら。子どもにわかりやすい表現として使われているのかもしれませんが、“女性はこうあるべき”“男性はこう”といったジェンダーの刷り込みにつながることも。『性別で区別する必要あるかな?』と考えることは、大事かなって思いますね」 いや、筆者自身、どこかで性教育を「大人になったね!」「よかったね!」とわが子の成長に目を細める、いわば物語……それも主に女性のための物語のように捉えていなかったか、今一度問い直さねばなるまい。 「性別問わず生理(月経)など体のしくみを知ることや、生理を肯定的に受け止めることは大切です。ただ実際には、7割以上の女性に生理痛(月経困難症)や、イライラして気分が落ち込んだりするPMS(月経前症候群)が起こる。 子どもを産むかどうかは人それぞれなので、単に赤ちゃんを産める体になったからお祝いといえるものでもありません。生理痛は医学的に我慢しなくていい痛み。痛み止めを服用する、産婦人科などを受診するといった、生理中も快適に過ごせるサポートは必要だと思います」とのご意見にも、うなずける点が少なくない。 言うまでもなく、価値観は人それぞれ。しかし、ときには立っておられぬような痛みを耐え忍ぶのがはたして美徳と呼べるのか。 (武士道みたいだな……)との違和感は正直否めない。