「ビットとアトム」、ネットに偏重する経済への警鐘
私たちは2024年が地政学的リスクの年になると予測していたが、その通りになった。次は選挙の少ない2025年だ。世界は落ち着くのだろうか? 期待しない方がいい。2025年になっても消えることのないのは、人々を隔てる深い信念だ。たとえば、気候変動は差し迫った危機だと多くの人がいう一方で、そうではないという人もいる。もし警鐘を鳴らす側の人間なら、論理的にも道徳的にも、懐疑論者とはかけ離れた政府観や経済観を持っていることになる。この溝は容易に埋められるものではない。 性別、ジェンダー、年齢、人種、アイデンティティ、ナショナリズムと軍国主義、富の分配と正義、言論の自由。これらのカテゴリーのそれぞれに、大きな意見の相違が存在する。インターネットは人々の心を開くどころか、むしろ頑なにしてしまったようだ。 そして、もうひとつの分断がある。これは国家が将来に向けてどのように投資するかを左右する重要な要素だ。(ネタバレすると、東南アジアはこの分析において良好な結果を出している)。その分断とは、ビットとアトム(原子)の分断だ。ソフトウェアの世界と物理的な世界と考えても良いだろう。 時価総額で上場企業をリストアップすると、このあからさまな分断が浮き彫りになる。ソフトウェア企業は、物理的な企業に比べてはるかに高いPER(株価収益率)を達成している。アップル、エヌビディア、マイクロソフトがトップで、アマゾン、アルファベット(グーグルの親会社)、メタも同様だ。アマゾンの小売事業は物理的なものだが、その時価総額である1兆8000億ドル(約254兆4700億円)は、ソフトウェアとクラウドコンピューティング(AWS)に支えられている。ハードウェア主体の企業で最も上位にランクインしている台湾積体電路製造(TSMC)でさえ、ソフトウェアを動かすことで存在していると言える。 ベンチャーキャピタルの世界でも、ビットがアトムを圧倒している。ベンチャー投資は、AIを含むソフトウェア企業への投資が圧倒的に多い。一方で、物理的な世界の再発明に対する投資は少ない。たとえそれが急務であってもだ。たとえば、カーボンキャプチャー(炭素回収)、モジュール型の原子力発電、ソーラーフィルムコーティング、世界80億人の食料供給や住宅供給などの分野である。その理由は明白だ。ソフトウェア企業は比較的小さなコストで資金調達とスケールアップが可能だが、大規模で複雑な物理的プロセスはそうはいかない。 仮にあなたがベンチャーキャピタリストだとして、出資者の資金を運用しているとしよう。数カ月から数年の間には、50社のソフトウェアスタートアップに投資して、その成功やスケールの可能性を試すことができる。一方で、最先端の材料、新しいエネルギー源、3D建築による高層ビル建設、新しい電力網や超音速旅行に投資した場合、結果が出るまでに5年、利益を得るまでには数十年かかるだろう。