「米ソ冷戦」の次は「対中包囲」の時代に 長期化した時に求められる日本の役割は?
帝国主義時代・米ソ冷戦時代・対中包囲時代
ひとつの時代はその前の時代の反省をもとに形成される。 ナポレオンによるヨーロッパ撹乱の反省からウィーン体制が形成され、第一次世界大戦の反省から国際連盟が生まれ、第二次世界大戦の反省から国際連合が生まれた。そして資本主義の反省から社会主義が肥大し、それぞれの理想を掲げて、米ソを中心とする二つの陣営が争った。これは「冷戦」と呼ばれたがそれは欧米からの呼称であり、中東、朝鮮半島、ベトナム、キューバなど各地では「熱戦」が繰り広げられたのだ。やがてベルリンの壁崩壊すなわちソビエトを中心とする社会主義圏の崩壊につながる。中国もこの時点で社会主義を棚に上げ、共産党独裁のまま資本主義的な経済発展の道を爆進する。 現在築かれつつある中国包囲体制は、急速に台頭した中国の国際秩序(曖昧なものではあるが)を無視した横暴に対するもので、その横暴を放置してきた反省にもとづいている。包囲する側は、「専制主義に対する民主主義の連携」としているが、これが長期化して「対中包囲時代」となれば、「帝国主義時代」「米ソ冷戦時代」に次ぐ、近代国際紛争における三つめの時代となる可能性もある。 帝国主義時代の主役は列強であり、武器は軍艦に加えて戦車や戦闘機などが登場し、おしなべてその覇者は英米であった。 米ソ冷戦時代の主役はもちろん米ソであり、武器は核兵器とミサイルを背景として、実際の戦闘はその代理戦争としてのゲリラ戦であり、覇者は米国と資本主義であった。 対中包囲時代の主役は中国とともにその包囲網であり、武器としてはサイバー技術が絡み、また次世代移動通信技術の覇権をめぐって経済安全保障の問題が絡んでいる。
「対中包囲時代」の行方は中国しだい
対中包囲は中国の政治体制と政策に起因するものであるから、この状況が変わるには中国が変わる必要があるだろう。三つの可能性が考えられる。 第一に軍事的暴発である。歴史をかえりみれば、膨張を続ける軍事力は何らかの契機に爆発することが多い。どこかの国の戦前のように、軍部の暴走を止められない、ということが起こらないとも限らない。しかし中国の共産党と人民解放軍はその成り立ちからも一体感が強く、今のところ党の中枢は軍の現場を制御できているように見える。軍事的暴発は起こりにくい、あるいは突発事故が起きても不拡大の方向に進む可能性が高い。とはいえ暴発あるいは爆発の可能性は常に考慮しておく必要がある。 第二に政治体制の民主化である。天安門事件や香港における運動はその火種があることを示しているが、あれだけの数の国民をまとめ、経済的な豊かさを短期間に達成した政権が簡単に倒れるとも思えない。徐々に民主化が進むとしても、しばらくは共産党政権のままである可能性が高い。 第三に現状維持である。これまでのようなペースの経済成長が今後も進むとは考えにくく、その点から軍事拡張にもある程度のブレーキがかかる可能性がある。国際秩序の遵守と民主化もそれなりに進む可能性はある。結局は、第一と第二の可能性を保ちながら、当面は第三の道が続くと思われる。だとすれば「対中包囲時代」は長引くと考えるのが順当だ。とはいえ「一寸先は闇」、国際政治においても状況は突然のように変化する。