ライムグリーンの目玉おやじのレンズをもつ野島埼灯台は全国でも数少ない「のぼれる灯台」
日本で二番目に古い洋式灯台
早川さんから灯台にまつわるお話を伺いながら、美味(おい)しそうな海産物のお店が並ぶゆるやかな坂道を上ってゆく。灯台の成り立ち……キンメ、エボ鯛、真アジ。灯台の果たす役割……真イカ、伊勢エビ、アワビ。集中力が試される。 温暖な土地ならではの、葉の艶々とした常緑樹が左右から覆い被さる道を抜けてゆくと、やがて前方が明るくひらけた。灯台だ。いきなりにゅうっと現れるせいか、はたまた周囲に大きな建物がないせいか、二十九メートルという実際の高さ以上に大きく見える。 「日本で二番目に古い洋式灯台ですワ」 と、早川さんは言った。 「ちなみに、いちばん古い洋式灯台はどこだか知ってます?」 わかりません、と正直に答えた。無知を恥じはするがせっかくの機会、どんどん訊かないと損である。どこですか。 「三浦半島の観音埼灯台です」 出た、観音「サキ」。 聞けば観音埼灯台も、そしてこの野島埼灯台も、フランス人の技師ヴェルニーの設計だという。イギリス人技師ブラントンと並んで、日本における洋式灯台建築に大きく貢献した人物だ。 そもそも、明治に入る少し前までの日本には、篝火(かがりび)を焚(た)く程度の「灯明台(とうみょうだい)」しかなかった。地形の複雑さにもかかわらず近代的な航路標識がなく、列強諸国に「ダーク・シー」と恐れられるほどだった。 ところが一八六六年(慶応二年)、英仏蘭米の連合艦隊との間に起こった海戦に長州藩が敗北したことで、多額の賠償金が発生。その減免と引き換えに、全十二条からなる「江戸条約」が幕府と交わされる。商売したくても日本の海ときたら、あまりに真っ暗で危険きわまりない。とっととまともな灯台を建ててくれ! といったところだろうか。それでまずは太平洋沿岸の要所要所に、遠くまで光が届く洋式灯台が超特急で建設されたというわけだった。 日本で二番目に建設されただけあって、野島埼灯台は海路上、非常に重要なポイントに立っている。房総半島の最南端、つまり東京湾へと入港してくるすべての船が、何をおいても確かめなくてはならない航路標識なのだ。 初点灯は一八六九年(明治二年)、くだんの江戸条約の三年後。一九二三年(大正十二年)の関東大震災で一度は倒壊したものの、わずか二年ののちに、八角形の外観は変えることなく、それまでの煉瓦(れんが)より頑丈な鉄筋コンクリートで造り替えられた。そのまま今に至っている。