出産は不可能と告知された女性「私は産みたいのか?育てたいのか?」35歳で不妊治療を断念し「里親にたどり着いた」
── ご主人は本当に岩朝さんを大切に思われているんですね。 岩朝さん:ありがたいですね(笑)。ただ、私はそこで「治療をやめる」という決断はできませんでした。治療をやめてしまったら、自分の子は100%望めないという現実を受け入れることになる。その事実がつらくて、やめるとは言えなかったんです。「治療をお休みをしている間に里親になろう」という気持ちでした。 ── 自分の子を産み育てたいという思いを諦めきれない気持ちはよくわかります。
岩朝さん:でも、実際に里親になってみたらすごく楽しかったし、子どもがかわいかった。それに、不妊治療がすごくしんどかったのもあります。どんなに頑張っても実を結ばないという状況は、精神的にすごくつらかった。自分を見失っていた時期もありました。そんななかで「里親」という、自分が前向きに取り組めるものを見つけられた。水を得た魚のように、本来の自分のポジティブさを取り戻せて、前に進むことができました。 ── それで不妊治療にひと区切りをつけると決めたんですね。
岩朝さん:そうです。当時、私は35歳。不妊治療の世界では、35歳は「ギリギリだね」って言われるけれど、里親の世界では「最年少」でした(笑)。 不妊治療は35歳を超えると妊娠率が低くなるといわれています。これは私が実際に経験して感じたことですが、もし子どもが本当にほしいなら、35歳を超えた段階で里親制度を検討してほしい。40歳までに里親制度の門をたたいておいたほうがいいと思います。40歳を過ぎると特別養子縁組や里親へのハードルが高くなっていくからです。多くの人が思っているよりも、もっと早めの決断が必要だと感じています。
PROFILE 岩朝しのぶさん いわさ・しのぶ。1973年、宮城県生まれ。先天性の病気によりこれまで17回の手術を経験し、シングルマザーの母親に支えられ幼少期を過ごす。25歳で起業後、広告代理店業の代表に就任。不妊治療を経て養育里親となり、現在も現役里親として子どもを養育している。認定NPO法人日本こども支援協会 代表理事 一般社団法人明日へのチカラの代表理事 「ドコデモこども食堂」代表。 取材・文/高梨真紀 写真提供/岩朝しのぶ
高梨真紀