優勝したヤクルト高津監督がノムさんから学んだ言葉の力…「絶対大丈夫!」のスローガン背景に「ノムラID野球」あり
先発だった高津監督をストッパーに転向させプロの世界での成功に導いたのもノムさんだ。亜細亜大からドラフト3位で入団した高津監督は、1年目に1勝1敗、2年目に5勝3敗と、殻を破れなかった。 「意外かもしれないが、最初は気が弱くて力が発揮できないタイプだった」と松井氏が当時を振り返った。 プロ入り3年目にストッパーに転向した。特定の打者にのみ効力を発揮する変則の右のサイドを抑えとするのはセオリーに反しているが、そこがノムさんが名将と呼ばれる所以。野村監督は、その配置転換に関して前の年の秋季キャンプでひとつの条件をつけたという。 「チェンジアップ(遅いシンカー)を取得せよ」 松井氏は、高津監督の転機は、その新球の取得だけではなく、そのオフのオーストラリア・ゴールドコーストへの優勝旅行での”ある出来事”がきっかけだったと考えている。 「そんなバカなと言うかもしれないが、優勝旅行でオーストラリアへ行ったときに高津監督がバンジージャンプをやったんだよね。びびりの彼は相当嫌がっていたが、勇気を出して飛んだ。あれで開き直りの精神を覚えたというか、ガラっとマウンド度胸の部分が変わったんだよ。本人に確認したことはないが、バンジーが転機だったと思う。怖いもの知らずのメンタルの作り方を覚えた。監督になってからも決断に迷いも緊張もあるだろうが、ビシビシと決めていく。すべての原点が、あそこだったような気がするんだよねえ。だから“絶対大丈夫!”と自信をもって選手を引っ張れたんじゃないかな」 松井氏は、高津監督の決断力や、リーダーシップの原点は、オーストラリアでのバンジージャンプにあるものと今でも信じ込んでいる。 (文責・論スポ、スポーツタイムズ通信社)