「ラモスさんに声をかけられ障がい者とプレー」北澤豪 中学時代から始まった支援の眼差し「墜落事故をきっかけに」
近年は、日本がやってきた足取りを他の国に伝えていく活動も始めています。子どもたちを育成するために地域ごとにコーチングスタッフを置いたり、アカデミーを創設したり。JICAとJリーグ、日本サッカー協会の共同で、指導者の派遣事業を作り、途上国に派遣する活動も行っています。
■選手時代の晩年に出会った「ブラインドサッカー」 ── 現役時代から社会貢献に関わってきた北澤さんが、障がい者のサッカーチームに関わることになったのはなぜですか?
北澤さん:日韓ワールドカップが行われた2002年、知的障がい者によるサッカー世界選手権「もうひとつのW杯」で日本代表チームのテクニカルアドバイザーに就任することになり、代表としてのマインドを選手たちに伝える役割を担いました。大会は盛り上がったものの、観客は外国人がほとんど。日本人の障がい者サッカーの認知度の低さを痛感しました。 同年、元サッカー日本代表の釜本邦茂さんのお姉さんから、目が見えない人たちのサッカー「ブラインドサッカー」の立ち上げを手伝ってほしいと声をかけられたんです。ブラインドサッカーとは、視覚に障がいのある選手たちがアイマスクを着用し、音と声のコミュニケーションでプレーする5人制サッカーのこと。じつは釜本さんのお姉さんは、将来的に視力をなくしてしまう病気で、ブラインドサッカーを通じて視覚障がい者の支援をしたいとのことでした。3チーム揃えばリーグ戦ができ、日本代表が編成できるからと言われ、「僕が力になれるなら、ぜひともお手伝いさせてほしい」と即答しました。
まずは、選手を勧誘するところからスタート。グラウンドに目が見えない子たちを呼んで、「こういうサッカーがあるんだけど、やってみない?」と声をかけてまわり、なんとか3チーム作ることができましたね。 ── ブラインドサッカーの試合を動画で見たのですが、視覚障がい者ということを忘れそうになるくらいドリブルもステップも華麗。ビックリしました。 北澤さん:そうなんですよ。相当の努力をしない限り、あんなふうにはできないです。生まれながら目が見えない人もいれば、大人になってから病気で見えなくなって残像がある中でやっている人も。健常者が片目にパッチを貼った状態で練習に参加することもあるんですよ。