甲子園春夏連覇の“琉球トルネード”に大学で悲劇が…島袋洋奨32歳に問う「高卒でプロの選択肢はなかったか?」意外な答え「微塵も後悔してません」
2010年、甲子園春夏連覇を成し遂げた興南高校のエースとして、高校野球界の頂点に君臨した島袋洋奨。だが、プロで大成することは叶わず、2019年に現役を退いた。無双の投球で甲子園を沸かせた“琉球トルネード”の野球人生は、どこで狂ってしまったのか。“消えた天才投手”の苦悩に迫った。(NumberWebインタビュー全3回の1回目/#2へ続く) 【衝撃写真】「体幹エグすぎる」「これは打てない…」甲子園で無双した島袋洋奨“琉球トルネード”のスゴさが伝わる連続写真。「32歳の今もムキムキ」現在の姿まで一気に見る(全40枚)
“黄金世代”の先頭を走っていた男
十数年に一度、ある学年にだけ突出した才能が集まることがある。 かつて野球界を「松坂世代」が席巻していた時代があった。1998年に甲子園春夏連覇を果たした“平成の怪物”松坂大輔を筆頭に、多士済々のライバルたちがプロ野球界を牽引した。 その松坂世代に勝るとも劣らないのが「1992年世代」だ。山田哲人(ヤクルト)、千賀滉大(ニューヨーク・メッツ)、甲斐拓也(巨人)、源田壮亮(西武)、有原航平(ソフトバンク)、山崎康晃(DeNA)など各チームの中心選手が揃う。しかし高校時代を振り返ると、この世代のリーディングプレーヤーは山田でもなければ千賀でもなかった。 2010年に甲子園春夏連覇を達成した興南高校のエース、“琉球トルネード”こと島袋洋奨が、紛れもなく先頭に立っていたのだ。現在、宮城大弥がオリックスのエースとして活躍しているが、かつて興南史上最高の選手になると目されていたのは島袋だった。しかし、島袋が5年間のプロ生活で一軍のマウンドに立ったのは2試合のみ。2019年、静かにユニフォームを脱いだ。 あえて“たられば”を言うのであれば、島袋洋奨が高校卒業後すぐにプロに入っていた世界線はどうなっていたのだろうか。野球ファンなら誰もが一度は考えたはずだ。「甲子園春夏連覇のエース」の冠はそれほど煌びやかで眩しく、その冠に恥じないほどの実力を備えたピッチャーだと誰もが思っていた。
島袋洋奨32歳に聞く「選手としてのピークは?」
本人は、自身のキャリアをどう捉えているのだろうか。引退から5年が経ち、32歳になった島袋を訪ねた。現役時代と比べても、より精悍な顔つきになっていた。4年前に母校・興南高校の職員となり、現在は野球部コーチ兼副部長の肩書きを携えている。「野球選手としてのピーク」について問うと、まっすぐな眼差しで、ゆっくりと包み込むように口を開いた。 「自分のピークとしては技術的にどこだろう……。大学1年時も良かったし、2年生になると力もついてきてスピードも出ていた。高校で言うのであれば、2年生ですかね。2年の夏の甲子園で今宮(健太/ソフトバンク)さんたちとやったときとか、あの頃は自分の中で凄く楽に投げられたというか、狙ったところに簡単に決めることができました」 2009年夏の甲子園一回戦で、興南は明豊と対戦した。明豊の大黒柱は、遊撃手兼投手で三番の今宮健太。興南の2年生エース・島袋は初回2アウトランナーなしで今宮を迎える。センバツに続き二度目の甲子園の島袋は、リラックスした状態からトルネード投法で思い切り体を捻り、ストレートで押しまくる。2ボール2ストライクで迎えた5球目、アウトコース低めいっぱいに決まる145kmのストレートで見逃し三振。後にソフトバンクで同僚となる2人の対決は島袋に軍配が上がった。興南は3対4で明豊に敗れたが、島袋にとってはこの敗戦が甲子園最後の黒星だった。 「周りからも言われたんですが、自分はピンチになった時に気持ちがボールに乗り移って投げるところがある。そこは自分でも認めてあげたい部分でした。よく野茂さんのトルネードを参考にしているんじゃないかと聞かれたんですが、そもそも(軸足が)プレートに対してまっすぐじゃないし、身体も柔らかくないのであの投げ方は到底真似できない。意識したことは正直ないですね。自分がずっと意識していたのは、二段モーションからのヒップファースト。溜めていたものを一気に出すイメージで、しっくりきていたのが2009年辺りだったのかなと思いますね」
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