批判もある「調味料入りの出汁」は日本の食文化に大きな影響を与えている…出汁ブームがくり返し起きる「意外な背景」
女性の社会進出とともに広がった出汁ブーム
今の流行は、人の移動が活発になったことによってそうした地域文化が混ざり合い、さらに情報と流通の発達によって、複雑に入り混じった状態になっている。 京都大学で長年食品・栄養学を研究してきた伏木亨甲子園大学学長によると、人間は油脂と糖と旨味に病みつきになりやすい。それは身体が欲する栄養源だからで、旨味の場合、それはアミノ酸があるサインだ。油脂と糖分の摂り過ぎは肥満や生活習慣病を引き起こす可能性があるから、旨味のある出汁を摂ろう、と伏木学長は奨励してきた。 日本の食文化は長らく、公に肉食が禁止される中で発達したため、出汁の役割は大きかった。しかし明治初期に肉食が解禁されると、西洋や中国の食文化がどっと入ってきた。昭和半ばの高度経済成長期以降は、庶民の食生活にも外国料理の要素が入り込む。 現在の出汁ブームは、こうした食文化の変化と働く女性の増加に影響されて起こったと私は考えている。 1980年代以降は、グルメブームもあって食のトレンド化が激しく、外国料理由来のさまざまな流行が起こった。日常食に取り込まれた外国の食文化を整理しようと自然発生したのが、世紀の変わり目に起こった、外国料理と和食をミックスするカフェ飯ブームと言える。 その後、外国料理に押されて和食文化の存在感が薄れたことから、食文化の担い手を自負する料理人・料理家とその周辺から、和食文化を見直そう、というムーブメントが始まる。中心にあったのが、出汁文化の見直しである。同時に、出汁素材を扱う企業も新しい挑戦を始めた。 味の素がほんだしを発売した1970年以降、出汁素材から抽出するより手軽に使える顆粒出汁が家庭で活発に使われてきたが、加工された出汁を使うのは手抜きだとか、使用される食品添加物が身体に悪そうといったイメージが広がっていた。しかし、2006年に福岡県の食品メーカーの久原本家が出汁素材と塩・醤油を組み合わせた出汁パック「茅乃舎だし」を発売してから、自然素材のイメージを打ち出す出汁パックのブームが始まる。 2010年、久原本家は六本木のミッドタウンに茅乃舎ブランドの店舗を構えて東京に進出。同じ年、鰹節専門店のにんべんがコレド室町1に出汁を飲める「日本橋だし場」を開業し、どちらも出汁そのもののおいしさをアピールして大人気になる。 2013年には和食がユネスコの無形文化遺産に登録され、和食を焦点に当てた報道が増える。欧米で和食や和素材が人気になり、カツオ昆布を中心に出汁文化への注目が高まる。 出汁ブームが広がる背景には、めんつゆなどの和の合わせ調味料の普及があるのではないか、と私はにらんでいる。 料理人・料理家たちが和食の見直しを訴えるのは、和食を取り巻く環境が年々厳しくなっているからだ。コメの消費量は1962年がピークで、その後は下がり続けている。基礎調味料の醤油や味噌も消費が減少を続ける。一方で、鰹節や昆布の消費量が増えている。それはおそらく、めんつゆなどの和の合わせ調味料の消費が伸びているからではないか。 つゆ・たれ消費量が醤油を抜いたのが1994年。既婚女性の専業主婦と働く女性の割合が逆転し、働く女性が多数派になり始めた時期と重なる。基礎調味料や出汁素材を組み合わせて料理するのではなく、めんつゆ1本でなど、合わせ調味料で料理する台所の担い手が増えたのは、仕事などで多忙な女性が増えたからと言えるだろう。 何しろ出汁は、「めんどくさい」「味が決まらない」などの悩みが付きまとう。特に昆布は、しばらく水に漬けて出汁を抽出する必要があり、仕事から帰って大急ぎで料理する際、その時間は取れない可能性が高い。また、首都圏など昆布出汁が出にくい地域で昆布を使おうとすると、「味が決まらない」悩みも生まれやすい。 合わせ調味料の幅はどんどん広がり、醤油や出汁素材のメーカーは、基礎調味料や出汁素材を単品で売ることより、合わせ調味料に力を入れてバリエーションを増やしていく。手軽に使え味が決まりやすい合わせ調味料を使う人が増えれば、ますます基礎調味料や出汁素材が売れなくなっていく。